※直接的ではないけれど、ある部分がハリー・ポッターのWパロディです。
博物館どくとくの薄暗がりのなか、ショーケースの前だけオレンジ色の光がぽつりぽつりと灯っている。刀剣ブースでは社会科見学の小学生たちが集まっておしゃべりをしたり、退屈そうにソファに腰かけていた。
ただ、一人の女の子だけは熱心に展示品を見つめバインダーで挟んだノートになにごとが書きこんでいた。
くしゃくしゃの髪の小柄な少女だ。瞳は、きれいなアーモンド形。シュッと通った鼻筋、ほっそりした輪郭に意志の強そうな眉。襟足で雑に切られた髪は、好き勝手な方向に跳ねている。彼女は、身丈にあわないTシャツがずり下がるのをうっとうしそうに引っ張っていた。
ソファで寛いでいた少年たちは、お互い小突きあって合図すると一斉に走り出して女の子からノートを奪ってしまった。
「返してよ!」
少女は目をつりあげて文句を言った。
「黙れ、ネクラ。また気持ち悪い絵を描いてないか、おれたちが確認してやる」
「気持ち悪い絵なんか描いたことないわ」
「いつも描いてるだろ」
少年は意地悪そうに笑いながら、ページをめくった。そこには、骨だけになった蛇の怪物や烏帽子をかぶった鬼が描かれている。男の子たちは囃し立て、女の子は唇をかんだ。
ときおり街頭や学校で見かけるのだが、だれも「やつら」に気づかなかった。「やつら」について話すと、もともと少なかった友だちは減り、いまではすっかりひとりぼっちになってしまった。
「こんな絵を描くのは構ってほしい証拠だとママが雑誌で読んだって!」
少年のひとりがかん高い声で言った。
「その通りさ。だから、おれたちが構ってやってるんだろ」
「お前のパパとママの代わりにさ!」
くすくす笑い。
「――ご親切にどうも。でも、あなたのママはゴシップ誌の読みすぎだと思うけど」
「ぼくのママをばかにするのか?」
「してないわ。でもあなたたちは、いつもわたしをばかにするわよね」
「お前がネクラで、ひどい恰好ばかりして来るからだろ!」
少女は傷ついた顔で、だぶだぶのシャツを掴んだ。
その瞬間、驚くべきことが起きた。
氷を水にいれたときのような鋭い音がして、ショーケースのガラスがはじけ飛んだのだ。
ブースのなかはパニックに陥り、皆自動ドアのほうへ我さきに駆け出して行く。少女をからかっていた子どもたちは腰を抜かして泣きさけんでいた。幸いにもだれも大けがしていなかった。せいぜい破片が腕をかすったくらいだ。しかし、少女は口を押さえて後ずさっていた。
「これはいったい――どういうこと?」
ガラス片が弧を描くような形で少女の周りに散らばっていた。まるでだれかが彼女“だけ”守ろうとしたかのようだ。
「罰です」
紫苑色の上着を着た男が、いつの間にか、はにかむような笑みを浮かべて立っていた。
「罰?」
「はい。やつらはあなたにひどいことを言いましたから」
「わたしだって言い返したわ。お相子よ」
少女は胡散臭そうに男を観察した。背は自分よりずっと高い。胸元に細いひだのついた洒落たシャツを着て、白い手袋をはめている。
さかんに瞬きしたりわざとらしいほど発音よく話したりするのは、興奮している証拠だ。少女は、なぜ彼がこんなにうれしそうなのか理解できなかった。
男はゆっくり首を振った。
「いいえ。あなたは特別な――」
うまい言葉を探すように唇をなめた。
「ええと……そう、選ばれた方なのです。あのウジ虫にも劣るクソガキ――失礼――とはちがう」
「意味がわからないわ。わたしは特別じゃないし、そんな風に他人をばかにする人はきらい。子どもをからかって楽しい?」
少女は、ひざの汚れを払って立ち上がった。これ以上変な男と話したくなかったのだ。しかし、彼はあわてて回り込んできた。
「あなたは本当に特別な人です。だから、あの無礼者どもが許せなかった」
「どういうこと?」
「つまり、おれはあなたの一番の……」
しかし、少女はその言葉を最後まで聞かなかった。スポットライトに照らされた男の足元を見て、恐ろしい考えにとりつかれてしまった。彼女は自分の身体を抱きしめるようにして後ずさった。
「本当なのね」
少女は震える声で言った。
「本当に、あなたがやったのね……」
「ええ」
男は誇らしげに微笑んで彼女に近寄ろうとした。
「こっちに来ないでよお化け!」
少女は金切り声で叫ぶと足元に落ちていたノートを男に投げつけた。それは彼の身体を通り抜け、間抜けな音を立てて床に落ちる。少女はもはや悲鳴さえあげなかった。ただ、男に怯えた視線をやると、一目散にブースを去っていった。
「待ってくれ……」
男――長谷部は惨めな気持ちでいっぱいだった。この日のために何度も練習を重ねてきたのに、全然うまくいかなかったのだ。彼は悲しそうな顔でノートを拾おうとしたが、その手はやはりなにもつかむことはできなかった。
博物館の外にある噴水が太陽の光を反射して輝いていた。池のぐるりを囲むようにベンチが並び、絵描きが難しい顔で周囲の景色をスケッチしている。一番端のベンチ、ビワの木の下にうなだれた男を見つけて、少女は駆け足で近づいた。
「ようやく見つけた!」
麦藁帽をあげ、輝く笑みをのぞかせると男の横に座った。
「あれからひどい大騒ぎだったのよ。新聞にものったわ! クラスの飯田って子はインタビューされたって自慢していたけど、記者って案外間抜けなのね。あの子、いの一番に逃げ出していたから、知ってるのは避難所までの最短ルートぐらいだわ。なのに野次馬がおおげさに騒いだせいで、博物館は二週間休館しちゃうし……ええと……つまり」
少女は履き古したサンダルで何度も地面をなぞった。
「あのときは、あまりに一方的な言い方をしたと思うの――ごめんなさい」
勢いよくお辞儀をすると、立ち上がった。
「ずっと謝りたくて探してた。今日は、それを言いに来たの」
「待ってください!」
しかし、長谷部の手は少女の腕を掴めなかった。光の加減で薄水色に見える半透明の手が、少女の腕をすり抜けてしまう。
長谷部は唇を噛んでそっぽを向いた。少女が悲鳴をあげて逃げるのを見たくなかったのだ。ただ、今度はそうならなかった。女の子は真面目な顔でうなずいてみせると、長谷部の隣りに座りなおした。
「あなたが話したいことを全部、話してちょうだい。できるだけわかるように努力するわ」
ビワの木陰のベンチに、二人は肩を寄せ合って座っていた。少女は地面につかない足をぶらぶらさせ、長谷部は背中に定規を入れているかのように背筋をのばしている。やがて、少女が小声で尋ねた。
「つまり、わたしには審神者の才能があるってこと?」
「その通りです」
「でも、審神者って由緒正しいお家の人が継ぐものでしょ。うちはお世辞にも由緒正しいとは言えないわ」
少女はため息をついて自分の恰好を見下ろした。
大きすぎる紺色のTシャツにピルだらけの赤いキュロット・スカート。サンダルは近所の子のお下がりで、ユニコーンのイラストは剥げかけだ。もちろん、博物館の周りで自分よりみすぼらしい人はいない。少女は恥ずかしくてうつむいてしまった。
「関係ありません」
長谷部が急に強い口調で言った。
「あなたが必要なのです」
「わたしが?」
長谷部は少女を力づけるようにうなずいた。
「武蔵の国の審神者は老いて代替わりが近づいています。しかし、当の息子はロクに見鬼もできない役立たずだ。だから、政府は血眼になって審神者の才を持つものを探しているのです」
「それが、わたし?」
「はい」
「まさか」
少女は首を振った。
「だって、わたしに特別なところなんてないわ。成績も普通だし、それに音痴だもの」
長谷部は小さく笑い声をもらした。
「歌が上手いからって、審神者になれる法はありませんよ」
「でも……」
「いいですか」
彼は子どもに言い聞かせるようにひとさし指をあげた。
「小さなときから、変なものを見ませんでした?」
「変なもの?」
「たとえば、刀を持った化け物や青白い稲妻を放つ甲冑……」
「見たわ。でも、それはわたしの頭がおかしいからよ」
「本当にそう思いますか?」
少女はしばらく黙っていたが、やがてゆっくり首を振った。
「その通りです。証拠に、あれが見えるでしょう」
長谷部はひとさし指をビワの木の奥に向けた。いっけん何の変哲もない場所だ。少女は、いぶかしげな顔で背もたれに両手を置くと、よくよく木を観察した。
そして、そこにぶら下がっているものを理解したとたん、素早く口をおさえた。そうしなくては、いまにも悲鳴をあげそうだったからだ。彼女はゆっくり座り直し、うらめしそうに長谷部をにらんだ。
「あなたって意地悪ね!」
「申し訳ありません」
長谷部は少女を怒らせたことにひどいショックを受けた。そのため、早口で言いつのった。
「けれど、あれを怖がる必要はありません。あなたのようにすばらしい力の持ち主は、なにも恐れることはないのです」
「すばらしい力?」
「はい」
少女は長谷部の熱心な眼差しから目をそらした。
「でも、うちは普通――」
そこで、首を振って訂正した。
「いいえ。とびきり貧乏なの。それって、本当に問題ないの?」
「ええと……」
長谷部は唇を堅く結んだ。いままで彼は血統の悪い審神者を見下していたからだ。実際、彼女以外の“雑種”を軽蔑している。しかし、長谷部はそのことについて言わなかった。不安そうな少女の顔を見たとたん、彼女を安心させたくてたまらなくなってしまったのだ。
「なにも――なにも問題ありません」
「そう」
少女は花がほころぶような笑みを浮かべた。
「なら、わたし審神者になりたい」
「賢明なご判断ですね。あなたはあなたの本丸で、何不自由ない生活が送れるのだから……」
「それは素敵ね! ママとパパもきっと喜ぶわ」
「いいえ」
長谷部が忌々しそうに吐きすてた。
「本丸で生活するのは、主と刀剣男士だけです。あなたを苦しめたクズに幸せになる資格はない」
「それって、ママたちのことを言ってるわけ?」
「はい」
そのとたん、少女は乱暴に立ち上がった。長谷部を残して、早足で出口のほうに歩いていってしまう。長谷部は最初、なにが起きたのか全く理解できなかった。あわてて少女の前に立ちふさがり、懇願するように言った。
「おれがなにか気に入らないことを言いましたか?」
「気に入らないことですって?」
少女の頬からは血の気が失せ、唇は怒りでぶるぶる震えていた。
「わたしの好きな人について、二度とひどいことを言わないで!」
そういうやいなや、彼女は駆け出して博物館から出て行ってしまった。長谷部は驚きと惨めさがまじりあった顔でその背中を見送ったのだった。