永久ベゴニアact 002

 一年後

 大きな本丸御殿。敷地内には錦鯉が泳ぐ池やちょっとした竹林があり、だいぶ豪勢なつくりになっている。

 ふいに風が吹き、浮島のゲートが荒っぽく開いた。なかから小柄な少女が走り出てくる。審神者の紺制服にひざ丈のブーツ。白いマントをはためかせ、彼女はひどく不機嫌そうな顔をしていた。

「あの人たちって、どうしてあんなに意地が悪いの!」

 少女――審神者はすまなそうに振り返った。

「わたしのせいで、長谷部にも迷惑をかけちゃった。ごめんなさい」
「主が謝る必要はありません」

 長谷部は悠然とした足取りでゲートを抜け、審神者の前に屈みこんだ。彼女のタイが歪んでいるのに気づいたからだ。

「おれは気にしませんから」
「本当に?」
「もちろん。蟻に噛まれても、本気で蟻を憎むばかはいないでしょう。やつらは偉そうなだけのただの“無能”です」
「長谷部」

 審神者はタイを直す手を振り払った。

「そういう言い方はやめて。霊力のない人をばかにしている風に聞こえるわ」
「――すみません」

 口先で謝ったものの、長谷部は全く納得していないようだった。審神者はため息をついてつけ加えた。

「つまりね、わたしだって庶民出だから霊力が洗練されてないとか色々言われるでしょう。あなたが霊力によって人を差別するなら、わたしのことも差別するの?」
「まさか!」
「なら、わかってくれるわね」
「ええ。主は特別な方ですから」
「やっぱり全然わかってない!」

 審神者がもどかしそうに地団太をふんだ。しかし、長谷部がじっと見つめていると、やがてあきれたような笑みを浮かべてくれる。そのたび、彼はいままで感じたことのないあたたかな気持ちになることができた――つまり、長谷部はいまとても幸せだった。

 そのとき、楼上の鐘が大きく鳴り響いた。審神者と長谷部は視線をあわせてうなずきあった。鐘の音は、新しい刀剣ができた合図だ。二人は煙が立ち上る離れに足早に向かっていった。

 鍛冶場につくと、奥の奉納台に二振りの美しい太刀が献上してあった。ひとつは、細みの黒い刀で柄の部分に金鎖があしらわれている。もうひとつは飴色の鞘に月の満ち欠けの紋様が入っていた。

「両方とも太刀なのね……」
「そのようですね」

 審神者は初めての太刀に夢中で、長谷部のがっかりした口調に気づかなかった。彼女はさっそく奉納台の前に額づき祝詞を唱えはじめた。最初はなんの変化もなかった。しかし、そのうち炎がパチパチ爆ぜるような音が響き、目を開けていられないほどまばゆい光が鍛冶場に満ちた。

「成功したの……?」
「大成功さ」

 えらそうな声がこたえた。白装束の青年が奉納台に立て膝をついている。彼は二人を見比べ、少女が審神者だとすぐ理解したようだった。

「そっちのお嬢さんが新しい主か?」
「ええ。武蔵の国の審神者よ。どうか、あなたの力を貸してほしいの」
「そうだなあ」

 青年はもったいぶった仕草で辺りを見回した。

「ところで、顕現したのはおれだけかい? 馴染みの気配を感じた気がするんだが」
「いいえ。あの刀剣も一緒よ」
「――こいつは驚いた」

 青年が低い声でつぶやいた。鍛冶炉の前に、長谷部より若干背の低い少年が立っていたからだ。ほっそりした輪郭に高い鼻梁。深くくぼんだ青い目は、不機嫌そうに審神者をにらみつけていた。

「三日月。きみ、いつからそんなに縮んだんだ?」
「好きで小さくなったわけではない」

 三日月は審神者から目をそらさず、ぴしゃりと言った。

 (初対面なのに、どうしてこんな風にじろじろ見られなくちゃいけないの?)

 そのとき、長谷部が審神者を庇うように立ちふさがった。

「主、あれは失敗作です」
「失敗作?」
「ええ。鍛冶師がしくじったようだ。顕現が不十分に見えます。いますぐ刀解いたしましょう」

 審神者は混乱して長谷部と三日月を見比べた。たしかに彼は長谷部より少し小さいが、それがなんの問題になるだろう? 少女は審神者になったばかりだったため、三日月の本当の姿を知らなかった。

 しかし、彼女が口を開ける前に三日月がばかにしたように笑った。

「鍛冶師に問題などない。おれが戦国の世の姿のまま呼び出されたのは、審神者の力不足が原因だ」
「貴様、主を愚弄するのか?」
「まさか。本当のことを言ったまでだ。非力な打刀の影に隠れて、今度の主はひどく弱虫なのだなあ」
「やめて!」

 審神者が額を押さえてさけんだ。

「やめてったら! 彼の言う通り、鍛冶師さんはちっとも悪くないわ。よって、刀解はしません。いいかしら?」
「しかし……」
「しかしもカカシもないの。わたしはぜったいに刀解しない。わかってちょうだい」

 じっと長谷部を見つめると、彼は居心地悪そうに目をそらした。しばらくして、観念したようにうなずいた。

「ありがとう」
「弱い刀には優しいのだな」

 三日月がすかさずかみついた。

「長谷部は弱くなんかないわ。つまらない意地悪を言うひとよりずっと立派よ。たしかに、あなたを完ぺきな姿で呼び出せなかったのは申し訳なく思うけど、わたしの力が足りないのはわたしのせいでしょ。関係ない人を侮辱しないで!」
「待て」
「なによ」

 審神者は目を三角にして振り返った。

「その髪飾りは趣味が悪い。頭に馬鈴薯を乗せているようだぞ」
「あら、そーう!」
「ああ。お前が『お願いします』と言えば、特別におれの美しい髪飾りを貸してやってもよい」
「それはとーっても光栄だわ――結構よ! 長谷部、いきましょう」

 審神者は肩をいからせながら、鍛冶場を出て行ってしまった。残された鶴丸は、あきれた顔でため息をついた。

「きみ、本当にケツの青いガキになっちまったんだなあ」
「うるさい」

 三日月はふて腐れた顔でそっぽを向いた。


 本丸の長い廊下を審神者が足音荒く歩いていく。長谷部はその後ろに付き従いながら、彼女の癇癪にひたすら相づちを打っていた。

「長谷部、あんな人の言った言葉気にしちゃダメよ!」
「もちろんです」
「ならいいんだけど……。でも、あんな高慢ちきな人がいるとは思わなかったわ」
「三日月宗近は平安生まれのうえ、天下五剣ですから“ぷらいど”が高いのでしょう。当世風の言葉で言えば、老害というやつですね」
「長谷部」

 審神者が硬い声でとがめた。

「言い過ぎよ。使ってはいけない言葉だわ」
「何故ですか?」
「わたしが、あなたにひどいことを言ってほしくないからよ」

 長谷部は審神者の真意をまったく理解していなかったが、勢いよくうなずいた。彼女に嫌われたくなかったのだ。

「わかってくれてうれしいわ。もちろん、わたしもこんなこと言うべきじゃないわね」
「とんでもない。主の愚痴をきくのも臣下の役目ですから」
「じゃあ、あなたが一番の臣下ね! いつも色々聞かせてしまうもの」
「光栄です」
「長谷部ったら!」

 子どもっぽいくすくす笑い。後頭部で輪のようにまとめた三つ編みが楽しそうに揺れている。長谷部はそれを見て、例のあたたかな気持ちが湧いてくるのを感じた。

 しばらくののち、ようやく笑いの発作から立ち直ると審神者は優しい瞳で長谷部を見上げた。

「ああ、ダメ。長谷部のそばにいると、つい気が緩んじゃう」
「ダメなことはありません!」
「そうかなあ……」
「もちろんです」

 長谷部はなにか彼女を喜ばせる言葉を言ってやりたかった。しかし、少女のとび色の目に見つめられると魔法にかかったようにへどもどしてしまうのだった。

「ええと、その――髪飾りですが、もしお気に召さないようでしたら、新しいのを買って参りますよ」
「どうしたのよ。急に」
「いいえ。ただ、三日月宗近が言う通り、気に入らなければ捨てて構わないのです」
「何故そんなこと言うの?」

 審神者は紫苑色のポンポンがついた髪飾りをいじった。

「わたし、だれかに贈り物をもらったのは初めてだったのよ。とてもうれしかった。あなたや三日月がなんと言おうが、ずっと大切にするわ」
「三日月宗近の房飾りのほうが、よほど価値があるのに?」
「関係ないわ」
「――ありがとうございます」

 長谷部は感極まったように礼を言った。
 それから少し雑談をして、審神者は私室に帰っていった。長谷部は完全に襖がしまるのを見届けると、早足で鍛冶場の裏に向かった。彼はそこで、どうしてもしなくてはいけないことがあったのだ。

 鍛冶場の裏には、古くて錆びついた焼却炉が設置されている。ときおり霊力が切れた札を燃やすだけで、使うものは滅多にいない道具のひとつだ。しかし、長谷部だけはこの焼却炉をよく利用している。彼は主を守るために色々なものを燃やす必要があるからだった。

 長谷部は、胸ポケットから数通の手紙を取り出すと、炉の前でびりびりに破り始めた。そして、主の前では決してしないような冷たい目つきでマッチを擦り、焼却炉に放りこんだ。火がゆっくりと手紙を飲み込み、やがて白い灰に変えていく。

 長谷部はそれを見届けることなく、すました顔で母屋のほうに向かっていった。もちろん、彼の行為は誰にも見られたことがなかった――いままでは。

「こいつは驚きだなあ」

 屋根の鬼瓦にひじをつきながら、鶴丸国永がニヤリと笑った。


 演武会場は、これまでにない盛り上がりを見せていた。鶴丸国永がすばやい動きで敵をかく乱し、三日月宗近が舞を踊るような優雅さで彼らを両断していく。二人が動くたび観客たちは黄色い悲鳴をあげ、まるでアイドル・グループのコンサートのようだった。

 観客のほとんどは、三日月の一挙一動をくぎ付けになって見つめている。彼はそれを楽しむかのように、わざと燐光を散らして最後の敵を袈裟切りにしてやった。

 金色の光が空中で輝き、三日月の姿をより一層幻想的に見せていた。彼は観客のうっとりした視線を意識しながら、自分が一番美しく見える角度で太刀を鞘におさめた。

「やったな!」

 鶴丸が後ろから走って来て、三日月の肩に腕をまわした。

「ああ。だが、案外あっけないものだ。もっと骨のある相手はいないのだろうか」
「よく言うぜ。きみが格好つけて危なかったのを助けてやっただろ」
「あれはお前に花を持たせただけだ」

 三日月はうわの空でこたえた。彼の視線は自軍の負傷者のなかをさ迷い、やがて目当ての打刀を見つけた。へし切長谷部は刀装をすべて失い、紫苑色のカソックやシャツはボロボロだった。傷一つない自分とは比べものにならない。

 三日月はとたんに上機嫌になって、鼻歌を歌いたい気分になった。この演練において、三日月は間違いなく長谷部より活躍したのだ。つまり、審神者は彼よりずっと自分を褒めてくれるに違いない。

 そのとき、審神者がベンチから勢いよく飛び出し、こちらに走り出て来た。もちろん、すばらしい活躍をした三日月をねぎらうためだろう。

 きっと自分の強さと美しさに感激して、いままでの態度を改めるはずだ。少なくとも、三日月より長谷部を優先するなんてばかな間違いは二度と起こさなくなるだろう。

 しかし、そうではなかった。
 彼女は三日月のわきをすり抜け、一直線に負傷者のもとに駆けて行った。

「長谷部! ああ、なんてひどいケガ……」
「大事ありません。それより、此度の演練では武功を立てられず申し訳ありませんでした」
「ばか! そんなことどうだっていいの!」

 審神者は長谷部の横に座りこみ、ケガの具合をよく確かめようとしていた。彼女は長谷部のことで頭がいっぱいで、三日月など視界にすら入らないみたいだった。

「ここの主は、戦で健闘したものに誉も与えないらしい」

 三日月は二人の間に割り込むようにして非難した。

「そういうつもりじゃないわ。でも、長谷部のケガを直してからでいいでしょう」
「いやだ」
「何故そんなことを言うの? 大ケガなのよ」
「主がいつもその男を優先するからだ。もっとも、自分に甘い言葉を囁くものばかり寵用するのはさぞ気分がいいことだろう」
「主を侮辱するのか!?」

 長谷部が語気荒くさけんだ。

「本当にそう思っているなら、貴様の脳ミソはネズミ以下だ」
「ネズミのほうがまだマシだろう。トドのように寝転がって主の手を煩わせるよりずっとな」
「やめてったら!」

 審神者が大声で言った。彼女は二人を引き離すと、冷たい目つきで三日月を見上げた。

「長谷部ばかり寵用しているつもりはないわ。わたしは他人をばかにする人がきらいなだけ――どこかのだれかさんみたいにね。それに、あなたのもったいぶったひけらかしにはウンザリよ!」

 その言葉によって三日月はひどく傷ついた顔をしたのだが、すぐ踵を返した審神者は気づかなかった。

「長谷部、ごめんなさい。早く手当しなくっちゃ……」
「すみません」

 審神者は長谷部につきそって、会場を去っていった。ただ、長谷部はうなだれる三日月に一瞬嘲るような笑みを向けたのだった。

「だいじょうぶか?」

 一部始終を見守っていた鶴丸が気遣うように声をかけた。

「たしかにきみはきみの美しさを見せつけるような戦い方をしたが、それは彼女に注目してもらいたかった……だけではないだろう」
「なんのことだ」

 三日月は彼らが消えたほうを見つめたままこたえた。

「おれたちの主はどうやら他の国の審神者から受けが悪いらしいからな。きみは観客を味方につけ、彼女の立場を少しでもよくしてやろうと考えたんだ」
「うがち過ぎだ」
「本当かい?」
「当たり前だ。どうして、あんな小娘のためにそこまでしてやろうと思う?」
「好いているからだろ」

 三日月があまりの驚きでむせこんだ。

「おれが!? まさか!」
「おいおい、気づいてなかったのか? 主にべた惚れのくせに」
「そんな――はず――ない!」

 三日月はむきになって反論したが、鶴丸は全く相手にしなかった。それどころか、からかうような笑みを浮かべ彼の全身を見分した。

「まさか三日月のこんな顔が見られるなんてなあ。きみ、ずっとその姿のままでいたらどうだ?」
「冗談じゃない」
「本気さ。おれの知っているきみはもっとも神らしい刀だった。『彼』なら、ぜったい人の子に恋なんてしなかっただろう――こわいやつだったよ」
「ふうん」

 三日月は鶴丸の話しをほとんど聞いていなかった。他のことを考えるので精一杯だったからだ。しばらくののち、ぼそぼそした声で言った。

「鶴丸よ、万一……いいか万一だぞ。おれが主に」

 緊張したように唇を舐めた。

「――アレだったとして、どうすべきなんだ?」
「大切にしてやれ」

 鶴丸は三日月をまぶしそうに見つめた。

「惚れた女と、彼女の愛するものすべてを大切にするんだ」
「そうか……わかった」

 やがて、三日月は観念したようにうなずいた。