永久ベゴニアact 003

 演武場、地下の救護室。畳のうえにあぐらをかき、審神者は険しい顔でへし切長谷部の手入れをしていた。彼女の横にはやわらかそうな布団がしかれ、シャツ姿の男が申し訳なさそうに上体を起こしていた。

「怒っていますか?」
「どうして?」
「今日の演練でひどい失態を演じたから……」
「ちがう。そうじゃなくて、どうしていつも三日月と喧嘩するのよ」
「あの男が、分不相応なやつだからです」

 長谷部が吐き捨てるように言った。

「あいつは、いつもあなたの前でいい恰好をしたがります。自分が選ばれた存在だと主に分からせようとしているんです。つまり、あなたを惑わせようとしているんだ」
「そう。それで?」
「それで!? あの男は主を慕っているんですよ!?」

 そう言って、長谷部は思わず唇を噛んだ。それは彼の意志に反して出た言葉だったからだ。しかし、審神者は眉をひそめただけでさしたる反応を示さなかった。

「たとえそうでも、わたしは他人をばかにするうぬぼれ屋なんか好きにならないわ。だから、あなたもひどいことを言うのはやめて」

 それから審神者は彼の態度について注意したが、長谷部は半分も聞いていなかった。審神者が三日月のことを非難したとたん、うれしくて仕方なくなってしまったのだ。


 目を覚ますと、腹に鈍い痛みが走って長谷部は思わずうめき声をあげた。そして、何故自分がこんなところで寝こんでいるか必死に思いだそうとした。頭のなかにいくつかのイメージが浮かび上がってくる。

 青白い甲冑の検非違使と倒れていく短刀。長谷部自身、彼らになぎ倒され、折れたのではなかっただろうか? しかし、気絶する寸前、見覚えのある瑠璃色の狩衣が目の前に現れたような気がした。

 そのとき、隣室から主のやわらかい声が響いてきた。長谷部は思わず頬をゆるめた。きっと自分を心配して付き添ってくれたとわかったからだ。しかし、彼女にこたえる男の声を聞いた瞬間、素早く襖を開け放っていた。

 三日月の狩衣に顔をうずめ、小柄な少女が泣きじゃくっている。三日月は困惑した表情をうかべていたが、まるで壊れ物に触れるような手つきで審神者の頭を撫でてやっていた。

 そうすると、少女は安心したように狩衣に頬をすり寄せるのだ。さらに驚くことに、二人は手をつないでいた。

(おれが眠っている間に、いったいなにが起きたんだ?)

 長谷部は目の前の光景が信じられなかった。自分の記憶が正しければ、審神者は蛇蝎のごとく三日月を嫌っていたはずだ。しかしいまの彼らはまるで一揃いの人形のようで、お互い以外だれも必要としていない風に見える――もちろん、長谷部でさえ……。

「主……」

 長谷部はかすれた声で彼女を呼んだ。

「長谷部?」

 審神者は顔をあげ、大きく目を見開いた。

「ああ、長谷部! 目を醒ましたのね。よかった!」
「はい。たいしたことありません」
「ウソばっかり! あなた、一日じゅう眠っていたのよ。三日月が助けにいかなかったら、いまごろどうなっていたことか……」

 審神者は感謝するように三日月を見上げた。三日月はあわててそっぽを向いたが、ただの照れ隠しなのは真っ赤な頬から明らかだ。それを見ると、長谷部の腸はいまにも煮えくりかえりそうだった。なんと、二人はまだ手をつないだままなのだ!

「主、ほかの損害は?」

 長谷部はイライラした声で尋ねた。

「――短刀が折れたの」
「折れたのは短刀だけ?」
「うん」
「それはよかったですね。彼らならいくらでも打ち直せる」

 長谷部はため息をついたが、すぐ自分が失敗したことに気づいた。審神者がショックを受けたように息をのんだからだ。そして、みるみるうちに冷たい顔つきに変わっていった。

「そう。本当にそう思っているの」
「いいえ。ただ、おれは主の戦績に傷がつかなくてよかったという意味で……」
「やめて。それ以上聞きたくないわ。布団に戻って安静にしなさい」
「待ってください!」

 審神者が真っ赤な目で長谷部をにらんだ。

「出て行って! いまはあなたといたくない。ひどいことを言いたくないの」

 長谷部は出て行きたくなかった。三日月と審神者を二人きりにしたくなかった。しかし、彼女は厳しい顔で彼に出て行くようにうながしていた。結局、長谷部は落穂のようにうなだれ、すごすご退室するしかなかった。

 襖を音もなく閉じた後、耐え切れなくなって隙間から室内をのぞいた。肩を落とす審神者に三日月がなにか語りかけている。やがて、彼女は涙をふいて微笑んだ。長谷部はそれ以上見ていられなくなってしまった。そのとき彼女が浮かべた笑みは、いままでで一番美しかったからだ。


 本丸の庭で、審神者が満開のサクラを見上げていた。珍しいことに、彼女はだれも伴を連れていなかった。
 内番中の長谷部はずいぶん前から少女を見つめていたが、唾を飲みようやく彼女に話かけようとした。

 しかし、そのとき鶴丸がサクラのなかから飛び出してきた。次いで三日月も罰の悪そうな顔で現れ、彼女に話しかけた。審神者はウンザリして文句を言ったが、とくに怒ってはいないみたいだった。

 先の事件から彼女は二人に対してだいぶ態度をやわらげ、ときには笑顔すら見せるようになったのだ。ただ、反対に長谷部とは顔を合わせない日々が続いていた。だから、今日こそ審神者との関係を修復するつもりだったのに――

 三人の談笑する光景を見て、長谷部の箒が音をたてて軋んだ。

 そして審神者が鶴丸の冗談に噴き出したとき、偶然長谷部と目があった。審神者の目が驚きで見開かれた。そして、二人を放り出すとこちらに走ってきてくれた。長谷部はうれしくてたまらなかった。彼女は三日月たちより自分を優先したのだ。

 審神者は息を切らせて長谷部の前に立つと、心配そうに彼を見つめた。

「もう歩いても大丈夫なの?」
「はい。いつ出陣しても問題ありません」
「そう……ええとね」

 審神者は緊張した様子で唇を舐めた。

「この前はごめんなさい。混乱して、あなたに八つ当たりをしたわ」
「気にしないでください。おれも間違ったのですから」
「わかってくれたの?」
「はい。折れた短刀をいちいち呼び戻すなんて、面倒に決まっていますよね」
「長谷部!」

 審神者が真っ青な顔で言った。

「やっぱり、なにもわかってない」
「なにをですか?」

 彼女は返事をせず、ただ長谷部を非難するような目つきで見ていた。長谷部は、何故自分がそんな風に見られるのかわからなかった。

「三日月たちに誑かされたのですか?」
「どういう意味よ」
「おそれながら申し上げます。主が最近三日月たちをそばに置くのは見目が気に入ったからですか? 彼らがおれについてなにかホラを吹き込んだのですか?」

 審神者はあきれたようにため息をついた。

「彼らはそんな卑怯なことしないわ。あなたが思っているよりずっと真っ当なひとだもの。それに仲直りしたのは、三日月が自分の振る舞いを反省して謝ってくれたからよ」
「だから許すのですか? あの男が天下五剣だから?」
「そんなの関係ないわよ! たしかに三日月は鼻持ちならないうぬぼれ屋だけど、本当に悪いこととの区別はついているわ。あなたと違って!」

 長谷部はショックを受けて黙りこんだ。審神者がなおも言い募ろうとしたとき、白い衣装の青年が彼女の腕をつかんだ。

「そいつになにを言っても無駄だぜ」
「離してよ。いま、長谷部と真剣な話しをしているの」

 そのとき、三日月がにわかに傷ついた表情を浮かべたので、長谷部は歪んだ喜びを覚えた。しかし、鶴丸は審神者にどう思われようがまったく気にならないようだった。懐から、ところどころ焦げた手紙を取り出し彼女に押しつけた。

「いいからこれを見るんだ。あいつが焼却炉で燃やしていた。きみ宛の恋文だろう」
「恋文……?」

 審神者は胡散臭そうに鶴丸を見て、しぶしぶ手紙を読み始めた。はじめはおざなりに頁を繰っていたが、最終的には食い入るような熱心さでそれを見つめていた。

「つまり、これは……」

 審神者の手は、怒りでぶるぶる震えていた。

「どういうこと?」
「手紙の相手は、主に相応しくなかった」
「それはわたし自身が決めることだわ。あなたには関係ない!」
「関係あります!」
「いったいどんな関係があるわけ? 教えてちょうだい。なんの権利があって、他人の恋路に口を出すのよ!」

 長谷部の頬が羞恥で赤く染まった。鶴丸は腕を組み、からかうような目で彼を見つめている。一方、三日月は無表情で事態を見守っていた。長谷部にはそれが彼の自信の表れに思えた。

「それは――あなたが“雑種”だから」

 沈黙。
 そして次の瞬間、長谷部は右頬に強い衝撃を受け、地面に倒れ伏していた。

「よくも彼女を侮辱したな!」

 三日月が馬乗りになって拳を振り上げていた。うぬぼれ屋の彼が髪が乱れるのを気にせず叫んだ。

「おれの主に対して――よくも!」
「おい、ちょっと落ち着け。三日月!」

 あきれ顔の鶴丸が羽交い絞めにして、長谷部から彼を引き離した。

「落ち着く? おれほど冷静な男はいない。冷静にこいつをぶん殴ってやろうと思っただけだ」
「そういうのを頭に血が上ってると言うんだ」
「そうよ。やめて!」

 審神者がさけぶと三日月はようやく動きを止めた。唇をとがらせ、言い訳するようにつぶやいた。

「だが、こいつは言ってはいけないことを言った。よりによって、おれの主に」
「これはわたしと長谷部の問題よ。あなたには関係ない」

 審神者はそっけなく言った。しかし、少ししてはにかむような笑顔でつけ加えた。

「でも、庇ってくれてありがとう。うれしかったわ」

 彼女がこちらを見たとき、長谷部は許しを請うように跪いていた。

「許してください。こんなこと言うつもりじゃなかった」
「そうかもね」
「お願いです。本心じゃないんだ」

 審神者は取りすがる長谷部に軽蔑の視線を向けた。

「だとしても、もう無駄だわ。あなたのことがわからない。信頼できなくなっちゃったの。明日から近侍はべつの者に任せます。いままでお疲れさま」
「主!」

 それから何度呼びかけても、彼女は決して振り返らなかった。長谷部は、これほど時間を巻き戻したいと思ったことはなかった。しかし、時が戻らないのと同じように口に出した言葉は取り返しがつかなかった。惨めな気持ちの彼の背中に、季節外れの雪が降り始めていた。