永久ベゴニアact 004

 深夜。審神者は受け取った手紙の返事を書き終え、筆を止めた。卓上スタンドが、憂鬱そうな少女の横顔を照らし出していた。

 彼女は、早くも自分の言った言葉を後悔しはじめていた。無論、自分が間違いを言ったと思わないが、長谷部はずっと一番の部下――友だちだったのだ。だから、できるだけ早く自分の過ちに気づいてほしかった。そうすれば、彼女はまた長谷部を近侍に戻すことができるからだ。

 審神者は自分が弱い気持ちになっているのに気づいて首を振った。そして、気分転換に庭の景色を見ようと雨戸を開け、大声でさけんだ。

「長谷部!」

 縁側から一番近いツツジの植え込みに、若い男がうなだれて立っていた。いったいいつからそこにいたのか、肩に厚く雪が積もっている。

 審神者はあわてて、彼を部屋のなかに引っ張り込んだ。濡れた上着を脱がせ、綿入れ半纏に着がえさせている間に、円筒ストーブに火をつけた。それでもまだ寒そうに見えたので、小走りで台所に駆けていった。

「すごく冷たい……」

 部屋に戻ってすぐ長谷部の頬に触れると、まるで氷のようだった。彼は一瞬身をひいたが、すぐうっとりと少女の手に顔をすり寄せた。

「やはり主はお優しいですね」
「部屋の前で凍死体を出したくなかっただけ」

 審神者は長谷部の頬をつねって強がった。そして、湯気の立つマグを彼に押しつけて言った。

「飲みなさい。ブランデーを垂らしたからきっと温まるわ」

 長谷部は訝しげにカップを見つめていたが、いったん口をつけると気に入ったようで少しずつ飲み始めた。しばらく、室内に秒針の音だけが響いていた。

「それで、なんであんなところにいたのよ」

 カップが空になったのを見計らい、審神者は怒った口調で言った。

「凍えるのが楽しかったとか?」
「ちがいます。主に謝罪したかったのです。ひどいことを言ったので……」
「そうね、確かに傷ついたわ。でも、他には?」
「他?」
「他になにか思うことはないの?」

 長谷部は意外なことを言われたかのように、目をぱちくりさせた。

「ありません」
「ありませんですって!?」

 審神者は思わず声を荒げた。

「自分より力ないひとを見下すことについて、なにも思わない? あなたは見鬼の才がない人たちをばかにするけれど、それはわたしを“雑種”とさげすむ人と同じだとどうして気づいてくれないの! 短刀のことだってそう……」
「主、泣かないで」
「いまわたしのことは、どうだっていいの!」

 といっても、長谷部にとって重要なのは主だけだった。だから、どうにかして彼女の涙をとめてやりたかった。ついこの間、三日月は審神者をうまく慰めていた。つまり、付き合いの長い長谷部は、彼より上手に少女を宥められるということだ。

「あなたが気に病むことはなにもないのです」
「やめて」
「何故なら、短刀が折れたのは鍛錬が足りないせい。自業自得です。それでももし主が望むなら、おれが霊力を供給いたします。折れたら、何度だって鍛え直せばいいんですよ」
「これ以上軽蔑されたくなかったら、いますぐ口を閉じなさい」
「主……」
「触らないで!」

 まるで汚いものに触れたかのように、少女は長谷部の手を振り払った。瞳には蔑みと憎しみの炎が宿り、強く彼を糾弾していた。

「わたしは世界一の大ばかね。話しあえば分かり合えると思ってた。そんなこと、あり得ないのに……」

 少女の薄っぺらい身体のなかで行き場のないエネルギーが蓄積し、いまにも爆発しそうだった。彼女は自分を落ち着かせるために深呼吸して、立ち上がった。

「主、どこに行かれるのですか?」

 沈黙。

「三日月のところに行くのですか? どうか考え直してください」
「うるさい!」

 審神者はありったけの恨みをこめて、長谷部をにらんだ。

「あなたなんて、だいっきらいよ!」

 襖が音を立ててしまり、廊下を走って行く足音が遠くなって、やがて消えた。長谷部は一人きりになっても、言い訳するようになにかつぶやき続けていた。


 暗闇のなか、サクラの幹に縋りついて審神者は身も世もなく泣きじゃくっていた。今夜、自分が大切な友人を失ったとわかったからだ。

 しばらくそうしていたせいで、雪が少女の体温を急速に奪い始めていた。しかし、とつぜん頭上の枝から白い袖が飛び出すと、彼女を雪から守ってやった。

「慰めてやろうか」

 袖の持ち主がそっけなく言った。

「結構よ。それは不公平だもの」
「不公平?」
「長谷部はいま一人ぼっちなのに、わたしだけ慰められるのは変だわ」
「そう思うなら、さっさと仲直りすればいい」
「簡単な問題じゃないのよ。わたしは長谷部に気づいてほしかった。ずっと一番の友だちだったから、そうなると思いこんでいたの」

 審神者の声は細く震え、裏切られたものの悲しみに満ちていた。彼女は長谷部の言動を理解できなかった。しかし、鶴丸は彼の心をおそらく本人以上に把握していた。ただ、それを審神者に告げるつもりはない。不器用な友人が少女を愛していることを知っていたからだ。

 そのため、鶴丸はそれ以上言葉をかけず、夜桜のもと少女の気がすむまで泣かせてやった。やがて雪が雨に変わっても、白い袖はずっと彼女に差し掛けられたままだった。


 それからいくつの春が過ぎ去っただろうか。
 三日月と審神者は少しずつ距離を縮め、いまでは深く愛し合うようになっていた。

 かつての少女は子どもっぽい面影を消し、美しい女性に成長していた。審神者のそばにはいつも三日月が寄り添い、実戦でも強い力を発揮したので、もはや彼女を“雑種”と罵る輩はいなかった。

 長谷部は閉めきった私室で、一葉の写真を熱心になぞっていた。本丸のヤエザクラの下で、青い狩衣の青年と長い巻き毛の女性が寄り添っている。彼女はやわらかそうな髪に青年と揃いの房飾りをつけ、はかなげな微笑を浮かべていた。

 長谷部は情けない顔で何度も審神者の輪郭を撫でていたが、しばらくののち、鼻をすすって立ち上がった。写真を半分に裂き、丁寧にたたんで懐に忍ばせた。三日月が写っている部分は、部屋を出るとき屑籠に投げ捨てた。

 本丸の縁側から庭園を望むと、短刀や脇差が楽しそうに走り回っていた。長谷部は思わず顔をしかめたが、それ以上に不思議に思った。

 現在、長谷部たちの主はとある事情で長期休暇を取って、現世に帰還しているからだ。彼らはそれを残念がって、ずっと沈んだ表情をしていた。

「よう! 相変わらず不機嫌そうだな」

 鶴丸がからかうように手をひらひら振った。誰かと対局していたのか、傍らに碁盤が出してある。ほぼ引き分けだったが、数目の差で黒が勝ったらしい。

「なんの騒ぎだ?」

 長谷部は険しい顔で尋ねた。

「知らないのか? つい先ほど、主が本丸に来ると連絡があったのさ」
「なんだと!?」
「おれも驚いたぜ。なにしろ、彼女は“いくきゅう”というやつを取ったばかりだろ。でも、うちの連中が気になって仕方なかったらしい」
「そうか……」

 長谷部は頬を緩めた。あのときから、審神者との仲はひどく冷え切ったものになってしまったが、彼の想いは何一つ変わっていなかった。長谷部は遠くから審神者の微笑を見られるだけで幸せだった。

 その様子を鶴丸は痛ましげに見つめていた。

「なんだ?」
「なんでもないさ。ただ」

 鶴丸は少し迷ったあと、助言してやった。

「サクラがきれいだから、見に行ったほうがいいぜ」

 長谷部は彼がなにを言いたいか理解できなかった。しかし、結局鶴丸にせっつかれるようにして、外に出たのだった。

 鶴丸の言う通り、本丸のサクラは美しかった。太い枝に薄紅色の花が咲き乱れ、風が吹くたび雅やかな花嵐をひき起こしていく。しかし、長谷部はその光景を見ても忌々しそうに舌打ちしただけだった。

 サクラの下に、長身の男が立っていたからだ。彼は白い布のかたまりのようなものを抱き、穏やかな表情でそれを揺らしていた。

「よい花だ――そう思うだろう」

 三日月が振り返って微笑んだ。彼は審神者が力をつける度成長して、いまや長谷部の背丈を追い抜いていた。

「……べつに」
「そうか。ではおれの心持が、この景色を美しく見せているのかもしれぬな。見よ、かわいいだろう」

 三日月は得意そうに抱えていた布を長谷部に差し出した。まだ首も座ってない赤ん坊が興味津々に長谷部を見上げてくる。

 透けるような肌やぽってりした唇、そして父親と同じ三日月の瞳。赤ん坊は、間違いなく美しく成長する全てを兼ね備えているように見えた。しかし、長谷部はそれを決して認めることはできなかった。

「どこかかわいいんだ。ひどい下膨れじゃないか」
「そうか? 赤ん坊だから当たり前さ」
「見たところ、この子どもに見鬼の才はなく霊力もごくわずかだ。そんな“雑種”にだれが価値を見出すと思う?」
「――そうね。たとえば、わたしかしら」

 とつぜん、冷やかな声が二人の間に割りこんだ。審神者はゆったりした歩調でやって来ると挑むような視線を長谷部に向けた。

「あきれてものも言えないわ。これだけときが経っても、あなたはちっとも変わらないのね」
「主……」
「たとえ霊力がなくても関係ない。だって、愛しているんですもの」

 長谷部は雷に撃たれたかのように立ちすくんだ。審神者は一瞬なにかを期待するような目を向けたが、彼は決して望む言葉をくれなかった。

「行こう。本丸で皆が待っているぞ」
「――そうね」
「あと、実は先ほどから妙に腕が冷たいのだ」
「そういうことは最初に言って! ああ、やっぱりお漏らししてるじゃない……」

 審神者はしかめっ面をしたが、三日月の困った顔と赤ん坊のあどけなさにすぐ輝くような微笑を浮かべてしまった。

 満開のサクラのもと、彼ら“家族”は一枚の絵のように完ぺきに寄り添っていた。やがて、三人はじょじょに遠ざかり、見えなくなってしまった――長谷部を置き去りにして。

「待って。おれも、あなたがなんだろうが関係なかったんです」

 長谷部は血を吐くような声でさけんだ。

「愛しているから……!」

 しかし、それは一生彼女に届くことはなかった。強い風が吹き、サクラが大量の花弁を散らしていた。