Fide sed qui videact 001

「きみたち、テニスするんだぞ!」

 と叫んだアルフレッドのせいで菊たち四人は唐突にテニスをするはめになった。

「楽しんでる?」

 ベンチの後ろから初戦であっさり負けたフランシスが覗きこんでくる。首からタオルを下げ、いかにも疲れたという格好だ。だが、騙されてはいけない。先ほどの試合、あきらかにフランシスは手を抜いていた。

「あの方は気づいてらっしゃると思いますよ」
「なんのことかな? お兄さん朝からちょっと調子悪くて」

 しらばっくれるフランシスに苦笑いしてお茶をにごす。とかく西欧の国々は呼吸するように嘘をつく。言葉を愚直に受け止めるほうが馬鹿だ。そうとわかっていても、嘘にどこまで罪がなく、そしてどこから罪が生まれるのかがわからない。なので結局、菊は嘘も真も言えず苦く笑うしかなかった。西欧で菊に真実を漏らしてくれたのはたった二人だ。いまはもう一人しかいないが。

「で、キクちゃんはどっちに賭ける?」
「どっち、とは?」
「アルフレッドとアーサーだよ! 優勝者はおれたちにひとつだけ命令してもいいってルールだろ。でもそれじゃ初っ端に負けたおれと不参加の菊ちゃんがつまらないじゃない。だからお兄さんと賭けをしようよ」
「いえ、お言葉ですが」

 妙な言質をとられて後々問題になったら面倒だ。菊がお得意の笑みを浮かべると、フランシスが耳元に顔をよせた。

「こんなときは頷くのが正解。もしきみが勝ったらうちでやりたい事業、色々便宜図ってあげる。おれはあいつと違って、きみのものを掠め取ろうなんて思ってないから」

 はっとした菊にフランシスは軽くウィンクしてみせる。

「たかがゲームじゃない。楽しめる要素は多いほうがいいでしょ。それに勝っても負けてもきみに損はないし、いいことずくめだろ」
「けれど貴方は損しかしない」
「おれにとって『楽しむ』ことは案外重要なの。蚊帳の外に置かれるゲームほどつまらないものはないからね。こんな理由じゃ納得できない?」
「いえ……」
 
 少しの間考え、菊は頷いた。

「お受けしましょう」


「アーサーはねえ、ああ見えて運動神経わりにいいのよ。さすが七つの海の覇者は侮れないわ」
「はい」
「それに対し、アルのやつはまだ発展途上だね。テニスはあまり慣れてないのかも。いまは力でおしてるけど、スタミナが切れたら形成は逆転する。はっきりいって、有利なのはアーサーだよ」
 
 隣りに座ったフランシスがコートで打ち合う二人を見てつぶやいた。確かにパワー型であらけずりなところが多いアルフレッドに対し、スピード型のアーサーのフォームは計算されつくしている。誰が見ても分はアーサーにあった。

「では、あの方に賭けるのですか?」
「ううん、迷っちゃうなあ。キクちゃん、先に決めていいよ」
「では、私はアルフレッドさんに」

  そう言うと、フランシスが意外そうに目を丸めた。

「どうして? もしかして菊ちゃん、テニスのルール知らないの?」
「いえ、存じております。けれど、このゲームはアルフレッドさんが勝つでしょう」
「そうかなあ。あいつのほうが断然うまいけど」
「それでも、あの方は負けます」

 と、言ったとたんアーサーのスマッシュが決まり、コートにアルフレッドの絶叫が響いた。

「たぶん」

 罰が悪くなってそうつけ加えると、フランシスが口をおさえて吹き出した。

「そうかたくなに信じられるアーサーが哀れだわ。あいつ本当に運動神経いいんだよ」
「存じております」
「でも『負ける』んだろ。アーサーが嫌い?」
「まさか」

 瞬時に返してしまい、やられたと思う。けれど予想に反し、フランシスは真面目な顔をしていた。

「ならよかったよ。不本意ながら二人の仲を邪魔した身だし、気にはなってたんだ。あの性格の悪さを知っても友だちでいるなんて、あとにも先にもキクちゃんしかいないだろうからね」
「あの方は不器用なだけでしょう」
「不器用!?」

 フランシスは掠れた声で、もう一度たずねた。あまりの衝撃に聞き間違えを疑ったのだ。

「ごめんね、お兄さん本当に疲れてるみたい。いまアーサーが不器用だとかいう恐ろしい単語が聞こえたんだけど」
「聞き間違えじゃありませんよ。恐れながら、あの方は好意の示し方が少し不器用だと感じたのです」
「ああ、そういうこと」

 フランシスは脱力して、ベンチにもたれかかった。アルフレッドの台頭で陰りが見えたとはいえ蒼い血が流れていると噂の血統主義者(すなわち徹底した差別主義者)がそんな『優しさ』を菊に見せているとは思わなかったのだ。『優しさ』とは弱さである。そもそもの渦中の人物はなれない情をわかせたせいで、弱体化を招いた。その件はフランシスもずいぶん美味しい思いをさせてもらったものだ。国家間に信用はあっても、信頼はない。同じように『優しさ』に見えるものがあっても、それは見返りを期待した疑似餌でしかないのだ。それを菊は勘違いしているのだろう。

「はい。ですから、あの方は負けるのです」
「どういうこと?」
「きっと、ご自分のことよりアルフレッドさんが喜ぶ姿を優先なさるでしょう」

 菊はため息まじりに答えた。国家間に信頼はないというのは師匠からさんざん聞かされてきたことだ。西欧の流儀はそうなのだとたたきこまれた。けれど、そのこともまた師から教わったことだ。口には出さずともその姿を見ているだけでわかった。国家間に信頼はなくとも、兄弟間には愛情も信頼もある。だからこそ菊にはわかっていた。間違いなく、アーサーはアルフレッドに負けるだろうと。

「そういう理由ですから、私はアルフレッドさんに賭けます」
「なるほどね」

 いつのまにかフランシスが見透かすような目で菊を見ていた。はじめて菊を菊と認識するような視線。しかしそれは全く優しいものではなかった。友好的で親しげな笑顔の下には、小馬鹿にした笑みが隠れていたのだ。

「キクちゃんは、この同盟の意味をわかっているんだ」
「……」
「かわいそうにね。きみの味方はだれもいないよ」

 菊が憤りにまかせて反論しようとしたとき、ゲームセット! という声とアルフレッドの歓声が響いた。フランシスの笑みが濃くなる。菊は気づかないふりをして顔をそむけた。

「賭けは、私の勝ちですね」
「あらら、どうして?」
「アルフレッドさんが勝ったでしょう。約束どおり、色々融通を利かせてくださいね」
「そんな約束したっけ?」

 フランシスはにやりとした笑みをうかべて、呆然とする菊の顔をのぞき込んだ。

「確かに賭けに勝ったらっていう条件で、そんな約束はしたかもね。でも、結果的におれが賭ける前に勝負は着いただろ。残念だったね」
「あなたは……!!」
「そんな顔しないでよ。せっかくの可愛い顔が台無しじゃない」

 うなじから手をさしこんでしばしば絹に例えられる黒髪をなぜる。自然とし近になった距離で憎々しげに菊の瞳がゆがんだ。

「私を、からかったのですか? 取るに足りないものだとあなどって、益もない退屈しのぎに不愉快な嘘をついた。ああ、こちらではそういう流儀なのですね」

 菊の怒りは収まらない。はっきり言って賭けの結果も賞品もどうでもよかった。ただ、小手先のことまで虚言を弄する『西欧』に吐き気がした。遊びならば、遊びでよかったのだ。賞品がたとえ飴玉ひとつでも、ルールを守ってくれたら菊はうれしかった。しかしフランシスはその期待を裏切ったのだ。
 しかし、当のフランシスは菊の髪から手を離し、ひどく冷めた瞳で彼を見つめていた。

「益にもならない退屈しのぎ、ねえ」 と顎をさすってつぶやく。
「もしキクちゃんが本気でそう思っているなら、おれはきみの評価を改めなくちゃいけないかな」
「どういう意味ですか?」
「さて、どういう意味でしょう?」

 こちらを試すように見つめるフランシスが、ふいに師匠に重なった。いまはもう遠い、出会ったばかりの彼だ。菊という国を試し、お眼鏡に叶わなければ即刻切り捨てると言った厳格な師だ。

(おれたちは常に戦場にいると思え。周りにゃ敵しかいねえ。気を抜けば死ぬ。誰も信じるな、常に言葉の裏を探れ、言質を取れ。で、気が向いたら脅せ。以上)

――そうだ、ここは戦場だ。

 菊ははっとしてフランシスを見返した。道化た笑みに騙されていたが、彼は師の悪友だ。師匠と対立や同盟をくり返し、それでも国を保ってきた実力の持ち主なのだ。そんな人物が裏のない『退屈しのぎ』なんてするだろうか? もちろん、答えはNeinだ。

「私をそそのかしてまで、どちらを選ぶか知りたかったのですか? お言葉ですが、あの方との同盟を復活させようなど大それたことは考えておりません」
「キクちゃんさあ、あいつを師匠にしたのは間違えだったんじゃない?」
「……なぜですか?」
「だって、全然的外れだもん。あいつも現役退いて勘が鈍ったのかねえ。ま、そのおかげで色々なことがわかったけど」

 火をつけたようにこちらをにらむ菊のあごをつかむ。彼が何に怒るのか、すぐに気がついた。怒りはわかりやすい感情だ。だから隠さねばならない。もし、足をすくわれたくないのなら。菊はおそらく優しい。優しいから、弱い。

「坊っちゃんを名前で呼ばないこと、きみが予想外にあいつを理解していること」 

 ということは、あいつの弱点はきみかい? それに――

「坊っちゃんが、未練たらったらなこととかね」

 菊をかばうようにして、飛んできたボールを受け止める。その向こうでラケットを肩に担ぐアーサーが不敵に笑っていた。

「本調子が出ねえとかこきやがって。ずいぶん元気そうだな、髭。で、その後の体調はいかが?」
「サイコーだよ。誰かさんがテニスボールをぶつけてくるまではね」

 アーサーは鼻で笑って、お得意の下品なスラングをぶちまけようとした。おそらく、フランシスは突発的に母親を犯したい衝動にかられるド変態だとか、クソの役にも立たないクソのなかのクソだとかその類の罵倒語を投げようとしたに違いない。しかし驚くべきことにフランシスの隣りであっけにとられる菊を見たとたん、アーサーは気まずそうに口を閉じたのだ。

(ええええ! 気持ち悪っ!)

 寂しげに見つめる菊に気づきながらそっぽを向くアーサーに鳥肌が立ちそうになったとき、アルフレッドがまたわめいた。

「よーし、じゃあ罰ゲームを発表するぞ!」

 膠着した場がようやく動きだし、それぞれ別の思惑で彼に感謝した。菊とアルフレッドの目があう。
 彼は無邪気に笑ってこう言った。

「アーサーとキク! 次はきみたちがプレイする番さ!」