One Last Timeact 001

 本丸の裏にある芝生広場で、審神者がおぼつかない手つきで馬を引いていた。彼女は馬が好き勝手なほうに行こうとするたび、キーキー声をあげてそれを押しとどめるのだった。後ろに浅葱色の髪の青年が控えていたのだが、彼はいくら少女が苦労しようが一切手を貸さなかった。案の定、彼女はしかめっ面で振り返った。

「一期ってば、見てないで手伝いなさいよ!」
「これは異なことをおっしゃいますな」

 一期はわざとらしく眉をつり上げた。

「先ほどご忠告申し上げたでしょう。そのとき、手を出すなと命じられた気がするのですが……気のせいでしょうか?」
「――気のせいよ! とにかく、刀剣男士は主の命令に従わなきゃいけないの!」
「なるほど」

 彼は眉をひそめて言った。

「まるで、関白さま気取りですね」
「関白?」

 少女は馬に引きずられながらも必死に胸を張った。

「豊臣秀吉の資産はせいぜい七千億だけど、うちは五兆二千億よ――はやく止めてちょうだい!」

 一期は舌打ちしたい気持ちを抑え、手綱を近くの枝にひっかけてやった。馬がしばらく興奮していたが、それも鬣を撫でてやっているとやがて収まった。

「ひどい目にあったわ……」

 審神者はうんざりした顔でサクラに寄り掛かった。紺色の審神者制服に乗馬用ブーツ、頭には大きな赤いリボンをつけている。彼女はポケットから白いハンカチを出すと地面に敷き、そこに座りこんだ。

「馬なんて嫌い。全然、言うことをきかないんだもの。わたしを蹴飛ばそうとするなんて、馬刺しになりたくてたまらないのかしら」
「主があんなへっぴり腰では仕方ないでしょうね」
「わたしのせいだっていうの!?」
「失礼。また、わたしの気のせいだったようですな」
「あなたって、本当に意地悪ね!」

 審神者がとがった声で言った。彼女に好意を持つものが聞けば、ショックを受けるような激しい口調だ。しかし、一期は少女が好きではなかったので、とくになにも感じなかった。

 そのとき、厩舎のほうから水筒を持った少年がやってきた。彼はサクラの下でいがみ合う二人を見るとあきれたようにため息をついた。

「大将たち、また喧嘩しているのか?」
「べつにしてないわ、薬研。一期が失礼なのがいけないの」
「そうはいってもなあ……。ところで大将、馬はどうした? おれは乗馬で疲れたお嬢さんのために麦茶を入れてきてやったんだぜ」

 少女は気まずそうにそっぽを向いた。

「馬に乗りたいとは言ったけど、こういう意味じゃないわ」
「残念だったな。でも、万一のことがあったとき、大将ひとりで馬に乗れたほうがいいんだぜ」
「いい考えね。あいつらが今日の晩ごはんになってなかったらの話しだけど!」
「大将」

 薬研が低い声でたしなめた。

「頑張れよ。どんな意味であれ、あんたはいち兄を押し切って、馬に乗ると言い張ったんだ。ロクな努力もせず放り出しちゃいけないぜ」

 審神者は悔しそうに唇を噛んだ。そこで、一期はてっきり少女が癇癪を起こすものだと考えた。しかし、そうはならなかった。彼女は恨めしそうな視線を薬研に送ると、のろのろ枝から手綱を取り上げたのだった。

 彼女が再び“馬に引かれて”広場に戻るのを見送り、一期は思わずつぶやいた。

「すごいな……」
「大将が駄々をこねると思ったか?」
「率直にいうと、そうだね」

 薬研がからから笑った。

「大将は甘ったれた子どもだが、芯まで腐っちゃいねえよ。いち兄はまっすぐだから、見えていないことがあるだけさ。おれっちに言わせりゃ、あんたら相性ぴったりだぜ」
「そうかな」

 一期は薬研に気をつかってうなずいたものの、内心そんなことはあり得ないと考えていた。顕現してからひと月経ったが、その間、審神者はひどいわがままで一期を煩わせてきたからだ。彼女の家は世界的にも有数の大金持ちらしく、いつもそれを笠にきて威張っていた。

 一期が来るまで、本丸は短刀ばかりだったので、だれも審神者の素行を注意しなかったらしい。彼は少女がどれほど甘やかされて育ったのか想像すると頭が痛くなった。

「あーあ、ひどいへっぴり腰だ」

 薬研が額に手を当ててつぶやいた。審神者は腰がひけた情けない恰好で、なんとか馬をまっすぐ歩かせようとしていた。しかし、力が上手く伝わらないせいか、再び好き勝手引きずられていく。結局、腹が減った馬が食事を始めてしまい、彼女は子どもっぽく地団太を踏んでいた。

「いち兄は、大将が嫌いか?」

 薬研は、審神者から目を離さないまま尋ねた。

「失礼だよ」
「このくらい、大将が聞いても怒らねえよ。嫌いなのかい?」
「少々、奔放なところが見受けられる」

 一期は曖昧に肯定した。

「そうだと思った。顕現してからずっと、大将と喧嘩しているもんな。いち兄がひとになったら、もう少し穏やかだと思ってたぜ」
「できれば、そう振る舞いたいよ」
「だろうな!」

 薬研は愉快そうに笑ったが、やがて笑みを消して、広場のほうを見つめた。

「でもな、いち兄。大将はまだ子どもなんだぜ。それに、かわいそうな子だ。優しくしてやれよ」

 最初、一期はそれが薬研の冗談かと思った。ただ、彼があまりに真剣な声を出すのでそれが間違えだとわかった。しかし、あの傲慢な女の子のどこがかわいそうなんだろう? しばらくの間、一期は困惑した表情で弟の横顔を見つめていた。


 演武会場。

 通常、審神者たちは演練を始める前に顔を合わせて挨拶するのが礼儀だった。それは幼い審神者でも同様だったので、少女は爪を噛みながら、時間になっても現れない対戦相手を待っていた。

 隣りのコートでは、すでに挨拶が終わり、打ち解けた子どもたちが楽しげに談笑していた。自分より少し年下で、二人とも保護者――お父さんかお母さんを連れてきていた。十三歳になっていない審神者は、特別にそうすることが許されるのだ。だからもちろん、本当は少女だって……。

 審神者は空っぽのベンチを見て、すぐ目をそらした。そのとき、ようやく反対側の出口から対戦相手が現れた。同じ年くらいの女の子だ。彼女は優しそうな雰囲気のお母さんと手を繋ぎ、目いっぱい甘えているように見えた。それを見た瞬間、審神者は彼女が大きらいになった。

 少女はおどおどしながら、コートに入ると審神者と近侍の一期を見比べた。そして、みるみるうちに頬を真っ赤に染めた。彼女は思わず舌打ちしそうになった。

「――十五分の遅刻よ」

 審神者はできるだけえらそうに言った。

「なんでこんなに遅れたわけ?」
「ごめんなさい。でも、演練に出るのがいやだったの」
「なにがいやなの? 負けることが?」

 少女が励みをもらうかのようにベンチの母親を見た。そして、ほっとした顔でうなずくと震える声で反論した。

「だって、戦うと刀剣は傷つくでしょう。かわいそうだわ」
「あなたが弱虫なせいで、刀が実戦で役に立たなかったらどうするの? それで死んじゃう人が一番かわいそうよ」
「でも、刀剣はひとになるのよ……!」
「だから? 役目を果たさなければ、生まれた意味がないわ」
「言い過ぎですよ」

 一期が眉をひそめて審神者の腕を引いた。相手の少女は、いじめられた小動物のように怯えて震えていた。一期は、やにわに審神者のポケットからハンカチを抜き出すと少女に差し出した。

「優しい審神者殿。どうか泣かないでください」
「一期! あなた、だれの味方なのよ!」
「わたしは、正しいほうの味方です」

 一期が冷ややかな目で審神者をにらんだ。

「ありがとう」

 少女はうっとりした目で一期を見上げた。審神者とちがって、儚くて守ってあげたくなるような雰囲気。優しそうな顔立ちの一期と並ぶとまるで誂えたようにお似合いの二人だった。彼女はやわらかい微笑を浮かべて、一期の手を取ろうとした。

「触らないで!」

 審神者はとっさに彼女の手を振り払った。

「わたしのものよ! 一期は、わたしが山城の国から五十八億円で買ったの。五十八億円よ! わたしのおこずかいからすれば、微々たるものだけど、庶民には、一生見るはずない金額よね。わかったら汚い手で触らないで!」

 そのとたん、乾いた音とともに頬に衝撃が走った。

「主、聞いていて非常に不愉快です――失礼いたしました」
「気にしないでください」

 少女は顔を赤くして、一期を見た。一期もまた、優しい目で彼女を見つめていた。審神者にさえ、そんな視線を向けてくれたことがないのに……! 彼女は足元に穴が空いて、そこから地面に吸い込まれていくような気持ちだった。

 一時間後。

 演練が終わり、審神者はコートの真ん中から相手側のベンチを見つめていた。少女が泣きながら、傷ついた刀剣男士を抱きしめていた。

 すると、後ろから母親が現れ、彼女の髪を撫でてやった。その手つきは優しく、見ているだけで娘への愛情が伝わって来るようだ。しかし、うらやましそうに二人を見つめていると、彼女の刀剣から嫌悪の視線をぶつけられた。

 それでも審神者は全く傷つかなかった。少なくともそういうふりをして、彼らから目をそらした。

「主。先ほどの演練ですが、やり過ぎではありませんか?」

 厳しい顔の一期が彼女の横にやって来て言った。

「なんのこと?」
「我が隊の投石によって、決着はついたも同然でした。わざわざ白刃戦に持ち込む必要はなかったのでは?」
「なにが言いたいのよ」
「つまり、主はある事情から彼女をねじ伏せたかった」
「ある事情?」
「誇りを傷つけられたことへの八つ当たり、嫉妬……」
「やめて!」

 審神者はぎらぎらした目で一期をにらんだ。

「だったらなんだっていうの? ああいう、ちやほやされて来たような子、大きらいだわ! 自分がどれほど幸せなのか、わかってないんだもの」
「幸せ?」
「そうよ。素敵なお母さんがそばにいるのに、これ以上何を欲しがるの?」

 そして、すぐ誤魔化すように目をそらした。

「もちろん、お金が一番大切に決まってるけどね」
「主、お金より大切なものだってあります」
「――そう。でも、ないよりあるほうがずっといいでしょ。お金があるってことは、幸せになる方法が人より少し多いってことだわ」

 少女は自分に言い聞かせるようにつぶやいた。

「だから、わたしにはお金が必要なの……行くわよ」

 審神者はもうそのことについて考えたくなかったので、一期を急かした。できるだけ早く、演武場の外に出たかった。しかし、そうはできなかった。審神者より頭ひとつ大きい少年が、ばかにするような笑みを浮かべ立ちふさがったからだ。

「なんの用? わたしと握手したいなら、よーく手を洗ってくることね」
「お前、海軍省んちの子どもじゃん」

 少年は、審神者を無視して言った。

「前の選挙で、落選したのってお前の親父だろ。審神者制度を無理やり廃止しようとしてた。実の親から、そんな風に扱われるのって、どんな気分?」
「――こんな気分よ!」

 少女は勢いよく彼のみぞおちを殴った。もちろん、それでは怒りが収まらず少年のうえに馬乗りになって攻撃した。ようやく這う這うの体の一期が二人を引きはがしても、彼女は射殺すような目で少年をにらんでいた。