One Last Timeact 003

 夜。書斎で、赤いリボンの少女が眉間に皺を寄せ、一葉の手紙を見つめていた。文机のうえには、羊皮紙や和紙の束が積み重ねられている。ただ、書きかけの書類は、零れた黒インクのせいでひどく汚れていた。
 そのとき、遠慮がちに扉をノックする音が響いた。

「主、少しよろしいですかな?」

 審神者は慌てて引き出しに手紙を押し込んだ。

「いいわよ。入って」
「失礼いたします」

 灰色のシャツを着た一期が一礼して部屋に入って来た。片手に使い捨ての丸皿を持ち、あきれた顔で室内を見回した。

「やはりこちらでしたか。弟たちが残念がっていましたよ」
「わたしだって、みんなと一緒にバーベキュー・パーティーをしたかったわ。でも、報告書が終わらないんだもの」
「期日は来週でしょう。主は頑張り過ぎです」

 一期はため息をつくと、書類をわきのスツールにどかしてしまった。
 代わりに、持っていて丸皿を文机のうえに置いた。ガーリック・オイルのにおいが、ぷんと漂ってくる。こんがり焼けた牛肉にムール貝。トウモロコシやパプリカには特製ソースがたっぷりかけてあった。

「食後、主の好きな“りんごのしろっぷ漬け”を持って参ります」
「わたしを太らせるつもり?」
「ええ。あと五貫ほど肥えたほうが、健康的です」
「ぜったい、いや!」
「残念ですな。わたしにとって、主は世界一太ってもよい人なのに……」

 一期はにっこり笑って、割りばしを割り審神者に差し出した。皿の牛肉は食べやすい大きさに切り分けられている。もちろんムール貝の邪魔な殻は取り外してあった。

 審神者はそれらを見下ろし、顔を赤らめた。一期が自分を大切にしてくれていると改めて実感したからだ。いままで、彼女をそんな風に扱った人はいない。審神者はうれしくてたまらなかった。もしかして一期なら、自分の悩みも受け止めてくれるかもしれない。

 少女は引き出しを開けると震える手で手紙を差し出した。

「どうなさいました?」
「読んでほしいの」

 一期は訝しげな目で手紙と少女を見比べたが、結局無言でそれを受け取った。読み進むにつれ、どんどん表情が険しくなっていく。最終的に、渋い顔で審神者を見つめた。

「ご実家に戻られるのですか?」
「わからない。手紙にある通り、うちにある海軍の高速修復剤が、手入れの質改善のカギかもしれないの。ひん死の刀剣も高速修復剤を使えば間に合うかもしれないって」
「あなたは、そのばかばかしい提案を信じていらっしゃる?」
「まさか」

 審神者は一期のしかめっ面に吹き出した。

「おおかた、軍部に渡りをつけたい神秘部の連中がしびれを切らしたのね」
「よろしいのですか?」
「よくないわよ。本当は、帰りたくなんかない」

 少女はか細い声で言った。

「一期が家族ならよかったのに……」
「わたしでは、主の家族になれませんよ」
「そうかしら? 一期がわたしを好きになったら、家族になれるわ」
「いけませんな」

 一期が厳しくたしなめた。

「あなたは、そういうことについてもっと真剣になるべきだ。妥協で家族をつくって本当によいのですか?」
「――いいえ」
「その通り。あなたの問題には、あなた自身が立ち向かうべきです」

 一期の真剣な目を見つめると審神者の胸に、大きな勇気がわいてきた。

「不思議ね。あなたに言われると、本当にうまくやれる気がしてくる」
「当然ですな。わたしは主なら、そうできるとわかっているのですから」
「頼りになる友だちを持って幸せだわ。一期にこわいものなんてあるのかしら?」
「ありません」

 一期は完ぺきな笑みを浮かべてこたえた。

「主を守る刀に、こわいものなどないのです」
「素敵!」

 審神者は子どもっぽい無邪気さで一期を褒め称えた。彼女は愚かな純粋さから、弱点のない“ひと”がいないことを知らなかったのだ。

 そこで、少女は一期に励ましてくれた礼をしたいと考えた。

(胚芽クラッカーとマシュマロがどこかにあったはずよね……)

 彼女は一期にソファを勧めるとガラス棚の前に椅子を置いて、中を探った。青いパッケージのクラッカーと袋いっぱいのマシュマロ、おまけに海外で有名な板チョコを抱えて飛び降りた。そして、引き出しから竹串を二本取って来て、困惑する一期に押しつけた。

「お礼に、とっておきのお菓子をあげる。串にマシュマロをさしてみて」

 自分のぶんを準備して、少女は暖炉に火を入れた。彼女はナチュラル・マテリアルを重んじていたので、暖炉には本物の炎が燃えている。しかし、しばらく待っても一期が竹串を差し入れる様子はなかった。それどころか、彼は取りつかれたように暖炉の火を見つめていた。

「一期、どうしたの?」

 彼の腕に触れたとたん、勢いよく振りほどかれてしまった。一期は荒い息を吐きながら首を振った。

「すみません。少し驚いてしまいました」
「いいえ。気にしていないわ……暑いし、火は消しましょうか」
「ありがとうございます」

 しばらく、気まずい空気が漂っていたが、一期がバーベキュー・パーティーの話しを始める頃には、すっかりいつも通りの二人に戻っていた――少なくとも表向きは。

 審神者は、一期の青白い顔を探るような目で見つめていた。


 真夜中。厠の帰り、薬研は本丸唯一の洋室――主の私室の前で立ち止まった。扉の下からオレンジ色の灯りが漏れていたのだ。彼はため息をついて、部屋の扉をそっと開けた。

 床に、多くの巻物や本が広げっぱなしになっている。その中央で小柄な少女が項垂れて座っていた。

「大将! こりゃ、どういうことだ?」
「薬研……」

 少女は混乱したように首を振った。

「どうしよう……わたし、本当に知らなかったの……」
「落ち着け。いいか。おれを見て、ゆっくり深呼吸するんだ」

 薬研が彼女の肩を掴んで言い聞かせると少女の錯乱は少しずつ収まっていった。やがて、彼女はうつむきながら、自分がなにを見つけたかぼそぼそ説明してくれた。

「そうだ。いち兄は火がこわいんだよ。たぶん、おれっちよりずっとな」

 薬研は彼女の背をたたきながらこたえた。

「でも、おれたちには死んでも認めねえだろう」
「なんで? 兄弟なのに」
「兄弟だからさ。あの人はおれたちを守ろうとしているんだ」
「――じゃあ、わたしにも言ってくれないわ」
「甘えるな!」

 薬研が雷のような声で審神者を叱咤した。

「しっかりしろよ。大将、あんたはいち兄の妹じゃない。主なんだ。悔しいが、いち兄を救えるのは、あんたしかいないんだよ」

 審神者は、驚いたように薬研を見つめた。そして、たちまちのうち、弱さを捨て、薬研の好きな勇敢な少女に戻っていた。

「その通りだわ。それに、一期は初めての友だちなの。友だちが困っていたら助けるのは、当然よね」
「ああ」

 薬研は一度、強く少女を抱きしめ、解放した。

「もう夜も更けたぜ。早く寝所に戻れ、大将」
「ありがとう。おやすみ、薬研」
「――おやすみ」

 薬研は少女の細い腕を取って、部屋の外まで彼女を連れ出してやった。白いワンピースの背中は、闇に紛れてすぐ見えなくなってしまう。しかし、薬研はその姿が見えなくなっても、名残を惜しむように廊下の奥を見つめていた。


 翌朝。少女は急いでサンダルをつっかけると本丸の庭へ駆け出した。近道にキツネノテブクロの群生をかき分け、なんとか橋を渡ろうとしていた一期に追いつくことができた。

「一期! 待ってよ!」
「どうかなさいましたかな? おやおや、頭に葉っぱがついておりますよ」
「どこ?」
「動かないでください」

 一期はいたずらっぽく微笑むと骨ばった手を少女の髪に差し入れ、何度かなでてくれた。その手つきに、あまりに愛情がこめられている気がして、彼女はうっとり目を閉じてしまった。

「――まるで猫の子のようですな」
「ひどい。からかったのね!」
「とんでもない。ほら」

 一期は青々とした葉っぱをひとさし指でつまんで見せた。

「それより、なにかご用だったのでしょう」
「べつに……」

 少女はばつが悪そうに目をそらした。

「友だちの見送りに来るって、そんなにおかしい?」

 一期は目を丸くして、快活に笑った。

「いいえ。ありがたき幸せです」
「そう。なら、いいのよ」

 そこで、少女は口ごもった。本当は彼にききたいことがあるのだが、どう切り出せばいいかわからなかった。
 結局、ぼそぼそした声で言った。

「昨日は、ごめんなさい」
「なんのことですか?」
「いきなり、火を入れてあなたを驚かせてしまったこと。わたし、そんなつもりじゃなかったの。ただ、知らなかったから……」
「お気になさらず」

 一期が硬い声で遮った。

「わたしは全く気にしていません」
「でも、一期は火がこわいんでしょう」
「いいえ」

 彼はにこやかな笑みを浮かべた。

「わたしにこわいものなど、ありませんよ」
「――そう」

 審神者が、傷ついた顔でうつむいた。そのとき、五虎退が気まずそうに一期に声をかけた。どうやら、もう出発の時間のようだ。一期はまるでなにも“問題”なかったように審神者の頭をなでた。

「それでは、行って参ります」
「いってらっしゃい」

 少女は橋げたに立ち尽くし、ゲートへ消えていく一期たちを見送った。突風が吹き、彼女は咄嗟にリボンを抑えた。頭上では、強い風によって雲がどんどん押し流されていく。大きな嵐が来る前兆のような気候だった。


 予想通り、一期たちが発ってすぐ、辺りは黒雲に覆われ大粒の雨が降り始めた。雨脚はみるみるうちに強まり、雷も恐るべき速さで近づいてきているようだった。

 少女が不安そうな顔で時計を見上げたとき、鼓膜が破れるような轟音が響き、室内の電気が消えた。

「なにが起きたの……?」

 審神者は深呼吸をして、停電によって起きる障害を想像した。しかし、すぐなんの問題もないことがわかった。予備電力装置が作動すれば、電気はすぐ復旧するはずなのだ。慌てる必要はないと彼女は必死に言い聞かせた。

「大将、無事か!?」

 薬研が懐中電灯片手に、私室のドアを蹴破った。

「問題ないわ。わたしより、扉のほうを心配してちょうだい。せっかく英国から取り寄せたのに……」
「悪いな、後にしてくれ。“げえと”に雷が落ちたんだ!」
「なんですって!?」

 審神者の顔がサッと青くなった。彼女は一瞬のうちに様々な恐ろしい想像をしたが、一期の優しい手を思い出すとその恐怖と戦い、勝つことができた。少女が、硬い声で命じた。

「薬研、わたしを庭に連れて行って」
「任せろ」

 薬研はこれ以上なく優しく審神者の手を握ると、一目散に廊下を駆けて行った。


 嵐のなか、二人はゲートのある浮島に立ち尽くしていた。臙脂色の支柱は焼けこげ、切妻造りの屋根から煙が立ち上っている。ゲートは最新鋭の技術によって高い耐火性を誇っていたが、さすがに落雷の直撃を受けて無傷というわけにはいかなかった。

 少女が、夢遊病者のような足取りでゲートに近づいた。

「おい、なにやってるんだ!」

 薬研は慌てて傘を放り投げ、審神者を取り押さえた。

「危ねえだろうが!」
「だって、まだ中にみんながいるのよ……」
「落ち着け!」

 薬研は大声を出すと、少女をゲートのほうに向けた。

「よく見ろ。確かにところどころ焦げついちゃいるが、まだ火は回ってねえ。大将は“こんなこと”で壊れるような“げえと”を建てたのか?」
「まさか」

 少女は震えを押し殺して挑戦的に笑ってみせた。

「このわたしが、わざわざ高いお金を払って建てさせたのよ。たかが雷くらいで壊れるわけないわ」
「その意気だ」
「――ありがとう」

 審神者は胸の前で腕を組んで、じっとゲートを見つめた。薬研は、彼女がこれ以上濡れないよう、無言で傘を差し掛けてやった。

 三十分後。とつぜんゲートが音をたてて軋み、朱塗りの扉が開いた。紺色の軍服を着た少年たちが、誰かを引きずるようにして現れた。

「一期!」

 審神者は悲鳴をあげて駆け寄った。一期の身体は多くの矢傷で傷つき、右腕があらぬ方向に折れ曲がっていた。

 そして何より少女を驚かせたのは、彼の身体に半透明の炎が纏わりついていることだ。不思議なことに、一期を支えている五虎退や骨喰には燃え移らず、ただ彼のみを燃やし尽くそうとしているみたいだった。

 審神者はしゃがみこんで、五虎退に視線を合わせた。

「なにがあったの?」
「わからないんです……」

 五虎退は怯えたように首を振った。

「ぼくたちは椿寺にいたのに、とつぜん雷が落ちるような音がして景色が歪みました。そして、知らないお城のなかにいたんです。お城は燃えていて、いち兄はそこがどこかわかっているみたいでした。それから、急に骨喰兄さんのうえに焼けた柱が降って来て……」
「――一期一振が、おれを突き飛ばした」

 骨喰が低い声で続けた。

「そのせいで、彼は本体を床の間に落としてしまった。戻ろうとしたが、火の勢いが強くて、帰還するのがやっとだった。おそらく、一期一振は、あの場所で燃え続けているのだろう。だから、彼の身体は見えない炎に焼かれている」
「なんてこと……」

 少女は青い顔で一期を見下ろした。一期の顔は苦悶に歪み、ときおり耐え切れないようにうめき声をあげていた。彼女は一期の手を握り、小さく名前を呼んだ。しかし、彼にその声は届かず少女の手は振り払われてしまった。

「すまない……」

 骨喰が苦しそうに言った。

「どうして謝るの?」
「一期一振がこうなったのは、おれのせいだから」
「自分を責めるのはやめなさい。骨喰は悪くないわ。もちろん、あなたを助けた一期もね」
「……そうは思えない」
「なら、あとで直接本人に文句を言って」

 少女は軽く体操するように腕を振るとゲートのパネルを操作した。素早いキー・タッチで数字を打ちこんでいく。薬研は思わず少女を引き留めた。

「大将、まさか行くつもりか?」
「ええ。非常モードが起動しちゃったから、こちらから時空移動できるのは審神者だけみたい。わたしがみすみす58億円を消し炭にすると思う?」
「ふざけるな! そもそも、“げえと”だって、この損壊具合からすると、あと一度往復できるかどうかだ。座標軸を間違えれば、二度と戻って来られないんだぞ!」
「ばかにしないで!」

 少女は懇願するように続けた。

「お願いだから、あなたの主を信じてちょうだい。わたし、ぜったいに戻って来るわ。あなたたちのお兄さんを連れ帰ってくる」
「大将も無事に?」
「――誓って、二人で戻って来るわ」

 薬研は深いため息をついて、審神者の腕を離した。

「それで、もちろん、いち兄の居場所はわかってるんだろうな」
「当たり前でしょ」

 審神者は胸を張って、エンターキーを押した。

『一六一五年 五月七日』

 少女の小さな背中を飲み込み、朱塗りの扉が音をたててしまった。