One Last Timeact 004

 時空移動特有のめまいが去ったあと、審神者はすぐハンカチで鼻を押さえた。城内のあちこちから火の手があがり、柱が折れ、襖には大穴が空いていた。少女はそれらに何度も足を取られて転びながら、一期の霊力を探って進んだ。

 そして、しばらくすると四面に金箔を張った部屋に出た。真ん中から部屋を分断するように柱が倒れ、向こう側が激しく燃えている。普通の人間なら迷わず引き返すところを、少女は力強い足取りで奥に進んだ。

「ここにいたのね」

 半透明の一期が、燃え盛る炎のなか背筋を伸ばして正座していた。

「何故いらっしゃったのですか?」
「迎えに来たのよ」
「迎え?」

 一期はわざとらしくため息を吐いた。

「わたしは、ここで燃え尽きる運命なのです。何度も何度も、くり返しここで燃え続ける」
「昔はそうだったかもしれないわね。でも、いまは違うわ」
「なにが違うのでしょう」
「わたしがいる」

 一期は少女が何をしようとしているか悟り、大声をあげた。

「やめろ!」
「あなたを燃やしたりするものですか。そのために来たのよ」

 少女は審神者の上着を羽織り、一期のいるほうへ飛び込んだ。すぐ隣りで天井まで届く火が燃えている。審神者は肌が焼ける痛みにうめき声をあげながら、這いずって一期のもとに向かった。

 燃える支柱の横に、朱色に金と黒の飾りが入った刀が落ちていた。半透明の一期は、刀の隣りで、項垂れるように座りこんでいた。少女は安堵の笑みを浮かべると彼をそっと抱きしめた。

「ようやく捕まえた」

 一期は抵抗するように首を振った。しかし、彼の頬には細く光るものが伝っており、少女は彼を慰めるためなら何でもしたいと思った。

 彼女は一期の背中を撫でながら、優しくささやいた。

「あなたが、恐れているものを教えて」

 肩が震えた。

「わたしは、ずっと一人ぼっちがこわかったの。でも、あなたが助けてくれた。今度はわたしの番――あなた、本当はなにがこわいの?」

 一期がゆっくり顔をあげた。涙で目は真っ赤に腫れ、鼻からは鼻水が垂れている。いつもの彼に比べるとひどくみっともない顔だが、少女にはいままで一番格好よく見えた。何故なら、一期が初めて自分の“恐れ”と向き合った瞬間だったからだ。

「運命が……」

 彼は涙まじりの声でこたえた。

「焼ける運命がおそろしい」
「――もう大丈夫だよ」

 少女は手が焼け爛れるのも気にせず、一期一振を握りしめた。すると、半透明の一期が鱗のように解け、水色の燐光になって消えた。炎のなか、彼女はしばらく手中の刀を大切そうに見つめていた。

「大将! 帰って来い。“げえと”が崩れちまう!」

 審神者の前で、朱色の門が音をたてて開いた。先ほどよりずっと焦げは大きくなり、屋根を支える冠木はすでに燃えていた。休んでいる暇はない。少女は、一期を強く握りしめ、ゲートのなかに飛びこんだ。


 真っ白な布団に浅葱色の髪の青年が横たわっていた。彼の頬は熱のため赤らみ、ときおりうわ言を漏らしている。少女が震える手で、額の冷却シートを新しいものに替えてやった。

 そのとき、襖が開けて白衣の少年が入って来た。彼は血の気が失せた審神者を見ると眉間に深い皺を寄せた。

「大将、いい加減寝ろ」
「一期の本体の様子はどうだった?」

 少女は一期を見つめたまま尋ねた。

「研ぎ師が慎重に手入れしてるぜ。おれたちにできるのは、祈ることだけだ」
「そっか……」
「ああ。だから、あんたももう休め。大将が倒れちゃもとも子もねえよ」
「あと少ししたら寝るわ。薬研は先に休んでいて」

 少女は薬研の言葉に耳を貸さなかった。薬研は認めがたい無力感に襲われながら、立ち上がった。

「わかった。だが、おれっちはまだ寝ないぜ。どっかのお転婆のために薬を煎じてやらなきゃ」
「それってわたしのこと?」
「他にだれがいる?」
「これは名誉の負傷ってやつよ」

 少女は包帯でぐるぐる巻きにされた右手を振り、悪戯っぽく笑った。

「『たいしたケガじゃない。気にすんな』」
「ふざけるな」

 薬研はため息をついて、立ち上がった。部屋を出る前に一度振り返ったが、少女はこれ以上ない熱心さで一期を見つめており、彼の寂しげな視線には気づかなかった。


 薬研が出て行ってしばらく、少女は一期の頬に涙が伝っているのに気づいた。おそらく、熱から来た生理的なものだろう。それでも、一期が泣く姿を見ると胸が苦しくなったので、彼女は優しく涙を拭ってやった。そこで、一期が低いうめき声を漏らしながら、目を開けた。

「主……?」
「ああ、神さま! 感謝します」
「ここは、どこですか?」
「本丸よ。わたしたち、帰ってきたの!」
「それは、うれしいな」

 一期は身体を起こそうとして、せき込んだ。

「まだ安静にしないとダメよ。あなたの本体はひどく傷んでいるの。休息が必要だわ」
「問題ありません」
「問題あるのよ!」

 少女は思わず地団太を踏みそうになった。

「わたし、あなたをとても大切に思ってるの! だから、これ以上無茶しないで」

 一期は目を丸めたあと、こわごわ彼女の頬に触れた。そして、目を伏せて言った。

「恥ずかしながら、恐ろしい夢に魘されるのです」
「夢?」
「あの日、大阪城とともに焼け落ちる夢です。わたしはただの鉄の固まりになり、自分が誰か、ここがどこか、わからなってしまう。だから、眠るのがこわい――わたしは、弱い」
「それはちがうわ。本当に弱いのは、自分の弱さを認められない人よ。いまのあなたは、じゅうぶん強いわ」

 そう言って、少女はおもむろに頭のリボンを解いた。一期の手首を取り、おぼつかない手つきで蝶結びしてやった。

「できた」
「これは、なんですか?」
「あなたがあなただという証明。そのリボンはね、わたしの宝物なの。お母さんが初めてお小遣いをくれたとき、お金を縛っていたものよ。こんな素敵なリボンを持っているのは、世界にわたしくらいだわ」

 少女は誇らしげに微笑んだ。

「だから、自分がだれかわからなくなりそうだったら、リボンを見て。すると、何故わたしは、こんな美しいリボンを持っているんだろう? そうか、いまは立派でお金持ちの主に仕えているんだった――ちがうわね。立派でお金持ちの友だちがいるんだったと思いだせるわ」
「それなら安心ですな」
「もちろんよ」

 一期はあきれたように笑うとリボンごと少女の手を握りしめた。それは、子どもが親に縋るような我武者羅さだった。

「だいじょうぶ。なにもこわくない」

 いつの間にか眠ってしまった一期に、言い聞かせるようにつぶやいた。彼女はポケットからペンを取り出すと、メモ帳に何ごとか書きつけ、枕元に置いた。

 そして、一期の髪をわけ、額に口づけした。少女は彼をぜったいに失いなくなかった。だから一期を救うためなら、なにもこわくない。

「わたしが守るもの」

 少女は力強く言って立ち上がった。部屋を出て、足音がどんどん遠ざかっていく。室内には、赤いリボンを手に巻いた青年が安らかに眠っていた。


 昼。少女は、実家の応接室で赤い背表紙の本を読んでいた。ここに通されて一時間以上経つが、まだ家人が出てくる気配はなかった。彼女はイライラして、こちらをにらみつけるような肖像画に舌を出した。

 ふいに、本の間から黄ばんだ羊皮紙が滑り落ちた。青インクで、なにかごちゃごちゃと書きこまれている。少女はそれを拾うとテラス側の日あたりのいい場所に移り、何気なく目を落とした。しかし、読み進む連れ少女の顔はどんどん強張っていった。

「なんてこと……」

 彼女は羊皮紙を握りつぶしてうめいた。いま知ったことを信じたくなかったのだ。しかし、何度読み返しても事実は変わらなかった。

 彼女は唇を噛んで、自分がすべきことをした。つまり、審神者が持ち歩いている端末に証拠を写し、すぐ神秘部に報告した。そして、羊皮紙を持ち帰ろうと花柄の鞄を開けたとたん、間抜けな顔で固まった。

 鞄に、白地に黒い水玉模様の短刀が入っていたのだ。それは、象牙色の燐光を発して顕現した。

「――こんにちは。主さま」

 そばかすの少年がうかがうように審神者を見上げた。

「五虎退、どうして……?」
「薬研兄さんに言われたんです。主さまは何かするつもりだから、ついて行けって」
「まったく、あいつは何だってお見通しね」
「兄さんは、いつも主さまを気にしてるから」
「わたしって、そんなに頼りない?」
「そういう、意味じゃないです」

 五虎退は、大人っぽく微笑んだ。そして、審神者の目をまっすぐ見つめた。

「主さまは、いち兄のためにここに来たんですか?」
「うん」

 少女は五虎退の視線から逃れるように目を伏せた。

「海軍の高速修復剤は、手入れの大きな助けになるかもしれないと、神秘部からの手紙にあったの」
「それは……」

 五虎退は言いにくそうに口をもごもごさせた。

「本当なのかな」
「――きっとウソね。でも、何かせずにはいられなかった。一期が苦しんでいるのを黙って見ていられない」
「その紙に、高速修復剤の場所がのってるんですか?」
「いいえ」

 審神者は鼻で笑った。

「うちが歴史改変を企んでいた証拠。ゲートを開けて、先の選挙の票数を操作するつもりなんですって。ばかみたい! そもそもゲートを開けられるのは審神者だけだし、神秘部だって……」

 少女は急に口をつぐむと急速に顔色を悪くした。様々なイメージが繋がり、一本の線になろうとしていた。しかし、それを認めるのは、自分自身をひどく傷つけることだ。
 つまり、彼女は最初から囮として使われる予定だった。神秘部は、自分を必要としていなかったのだ!

「こんなの、ひどいよ……」

 少女は思わず弱音を吐いた。心のやわらかい部分が切り裂かれ、血を流しているようだった。

「主さま。どうしたんですか?」

 しかし、五虎退を見て悲しむより優先することを思いだした。彼女は五虎退の肩を掴んで、低い声を出した。

「いい。いますぐこの鞄を持って、本丸に帰りなさい」
「主さまは?」
「わたしは残るわ。やるべきことがあるもの」
「じゃあ、ぼくも残ります」
「お願い、五虎退。いい子だから……」
「いやです!」

 五虎退が、嗚咽まじりの声でさけんだ。彼は、腕で何度も涙をぬぐった。

「どうして、そんなことを言うんですか? ぼくが弱虫だからですか?」
「いいえ。ここにいると、とてもこわいことが起きるから。だから帰るのよ」
「いやだ! 確かにここはヘンな雰囲気で、こわいです。でも、主さまに何か起きるほうが、もっとこわい」

 少女を見上げた。

「戻らないなら、おそばに置いて下さい。何があっても、主さまをお守りします」
「……一つ、訂正することがあるわ」

 審神者が、ため息を吐いた。

「あなたは決して弱虫じゃない。わたしより、ずっと強いわ」
「そんなことないです」

 五虎退は、恥ずかしそうに顔を赤らめた。審神者が頭をなでてやると幸せそうに目を閉じた。

「主さまは、優しいから好きです」
「そんなこと言うの、五虎退くらいよ」
「みんな、主さまのことが大好きです。ただ、照れて上手く伝えられないんだと思います」
「そうかしら」
「はい!」

 五虎退が力いっぱいうなずいた。しかし、とつぜん眉をひそめると少女を背中に庇った。

「だれか来ます。扉から離れてください」

 彼が緊張した顔で短刀を構えたとたん、ドアが乱暴に開いた。無個性な黒スーツの男が二人、銃を構えて部屋に入って来る。少女は、彼らを見て悲鳴をあげた。二人は家専属のSPで小さい頃は審神者も彼らに守られていたからだ。

「五虎退、やめて! わたし、彼らをよく知ってるの」

 審神者がさけぶと五虎退が驚いて振り返った。その隙にSPの太い腕が少女を抱き上げ、素早く縄で縛った。

「なんで……?」
「主さまに、ひどいことしないでください!」

 五虎退が審神者を助けようと男に飛びかかった。銃弾を軽々と避け、空中で見事に一回転したあと、短刀を男の頸椎を刺しこもうとした。しかし、突然力を失い、激しく床にたたきつけられてしまった。

「五虎退! あなたたち、何したの!?」
「申し訳ありません、お嬢さま。いくらわたしたちでも、人間は刀剣男士に太刀打ちできないので、奥の手を使いました」
「奥の手?」
「ええ」

 彼はボールペンほどの長さのさし棒を振った。金属でできており、先端が青く発光している。理由はわからないが、その棒が原因で五虎退は力を失ったらしい。

 すると、奥から二人目のSPがやって来て五虎退を足でひっくり返した。

「こいつはどうする? 縛っても刀剣相手では意味がないだろう」
「そうだな。旦那さまに確認する。我々に任せて下さるようであれば――折れ」
「やめて!」

 少女は滅茶苦茶に足を振り回した。

「五虎退には大人しくするように言いきかせるわ。だから、お願い……」

 しかし、彼らは少女の言葉を聞かなかった。無言でさし棒をいじると青い光がさらに強くなり、五虎退が苦しそうに胸をかきむしった。

「いくらほしい? わたしのお金、ぜーんぶあげる! やめて! やめなさい!」

 五虎退の身体が弓なりに曲がり、長い間悲痛なさけび声が続いた。悲鳴が途切れた瞬間、鈍い音とともに、白い短刀が床に落ちた。

「なんでよ。お金ならあげるって言ったじゃない……」
「おれはよ、お嬢さま」

 少女を抱えたSPが吐き捨てるような口調で言った。

「そうやって、すぐ金にものを言わせる態度が、ずっとムカっ腹に来てたんだ」

 少女は大きく目を見開いて、言葉の弾丸が自分の胸を貫くのを感じていた。やがて、彼女は抵抗する力を失い、だらりと男の腕にもたれかかった。SPたちは、少女を抱え地下に続く階段をゆっくり降りて行った。