One Last Timeact 005

 薄暗い地下室。もともと貯蔵庫として使われていたせいで、ベニヤ板と棒を組み合わせただけの棚が四面に設置されている。下段には空の酒樽、二段目には蔓で編まれたバスケット、三段目には何かがぱんぱんに詰まった麻袋があった。掠れた文字で“Roots”と印刷されている。

 棚の出っぱり、ぶら下がったニンニクの隣りの短いロウソクが部屋唯一の光源だ。その灯りが、床に転がる少女の姿を照らし出していた。

 彼女は蕾のような唇を動かし、小声で呪文のようなものを唱え続けていた。すると、少女の横に光が集まり、やがてそれは短刀の形になった。

「五虎退……」

 少女は、いざって短刀に耳を寄せた。子どもの泣きじゃくる声が聞こえてきた。

「どうして泣いているの?」
「ぼく……自分が情けないから」
「なんで情けないの?」
「だって、せっかくついて来たのに何も出来なかった」
「そんなことないわ。五虎退はわたしを守ろうとしてくれたでしょう」
「でも、守れなかったじゃないですか!」

 五虎退がヒステリックな声でさけんだ。いつの間にか、半透明の少年が彼女の隣りで項垂れていた。まだ回復していないため、顕現することができないのだ。いまの五虎退は審神者にしか見えなかった。

 少女は、宥めるように短刀に頬をすり寄せた。

「五虎退、こわいのね」
「こわいです……。この先起きることが、こわくてたまらない。頑張ろうと思っても、勇気がぜんぶ吸い取られていくみたいなんです」
「じゃあ、とっておきの方法を教えてあげる」

 少女が優しい声で言った。

「つらくて、心が折れてしまいそうなときは、自分がだれかにとって素晴らしい存在だと想像してみるの。そしたら、信じられないほど勇気が湧いてくるわ。五虎退には、たくさん兄弟がいるでしょう。みんなあなたが好きなのよ」
「ぼくがこわがりでも?」
「関係ないわ。ありのままのあなたを愛しているの」
「そっか……」
「元気が出たかしら?」
「はい!」

 五虎退が、顔をくしゃくしゃにして笑った。

「主さまは、いつもこんな風に自分を励ますんですね」
「いいえ」

 審神者は小さく首を振った。

「わたしは、もうこの方法が使えないわ」

 そして、彼女は黙りこんでしまった。ただ、苦労して五虎退を懐に隠し、“そのとき”を待った。二時間後、階段を揺らしながらSPが降りてきて、二人を階上に連れ出した。


 本丸、道場。板敷きの床に小さなキツネが縄で縛られ、転がされていた。隣りに朱塗りの刀が落ちている。それは立派な刀だったが、ところどころ見えない炎で焼かれていた。鞘の先端は黒ずみ、留め紐は燃えている。しかし、一期は気にせず腰にさした。

「このようなことをして、ただで済むと思いますか?」
「このようなこと? わたしはただ、己の主人を迎えに行くだけだ。そちらの指図を受けるいわれはない」
「わからないひとですね。わたし――こんのすけを拘束する行為は、刀剣三原則に違反します。刀解の可能性もあるのですよ」

 一期はこんのすけを無視して、踵を返した。いまは、一つのことしか考えたくなかったからだ。
 そのとたん、こんのすけの顔がバナナのように剥け、特殊な電気コードが大量に飛び出した。それは一期の背中に迫ったが、間一髪で力を失い床に落ちた。

「いち兄、最後まで油断しちゃいけねえよ」

 黒髪を振り乱した少年が、キツネの胴体を刺し貫いていた。

「薬研……」
「大将のところに行くんだろ。追っ手が来る前に、とっとと行っちまえ」
「ああ。わかっているよ」

 しかし、一期は立ち止まったままだった。なにか言いたそうに薬研を見つめ、目を伏せた。

「しゃきっとしろよ。ほら、餞別だぜ」
「餞別?」

 一期は薬研から投げてよこされた小箱をひっくり返した。朱色の背景に翼を広げた鶴が印刷されている。上部には、時代がかった黄色い字で“優良燐寸”と書いてあった。一期はこらえ切れずに苦笑した。

「薬研!」
「なんだよ。もうこわくないだろ」
「ああ。こわくはないな」
「それは重畳だ――大将によろしく」
「ありがとう」

 それは、さまざまな意味のこもった礼だった。薬研は一期のやましさにも気づいていたが、あえて知らないふりをした。やがて彼が出て行き、道場のなかは薬研と壊れかけのアンドロイドだけになった。

 小柄な少年は、ため息を吐いて道場の扉にもたれかかった。

「理解できません」
「なにがだ?」

 薬研が冷ややかな目でこんのすけを見た。

「何故、我々に背くのですか?」
「あんたたちは、一人の審神者を生贄にして、軍部の邪魔者を排除するつもりだった」
「尊い犠牲です。しかし、必要な犠牲でした」
「そうかもな。だが、粟田口は忠義の刀だ。主人が殺されるのをむざむざ見過ごせねえ」
「理解できません。そのために滅びを選ぶのですか? もとより刀剣は回収し、他国の審神者に譲渡する予定でした。けれど、あなた方はそうならないでしょう。再び火のなかに戻り、永久に苦しみ続けるのです」
「うるさいよ」

 薬研はこんのすけをつまんで投げ捨てた。道場のなかに沈黙が戻り、彼は天井を見上げた。

「最後までこんな役回りか……くそ、大将に会いてえなあ」

 薬研の正直なつぶやきは道場に反響したが、結局誰にも届かなかった。


 審神者は黒スーツの男に銃を突き付けられ、ゲートの前に立たされていた。広間には、あと三人のSPと口ひげを蓄えた五十代ほどの男がいる。少女は懇願するような顔で、男を振り返った。

「お願い。お父さん。こんなこと許されないわ」
「なにが許され、なにが許されないかはわたしが決める。お前ではない。余計な口をきくな」
「いやよ……」
「やるんだ。もし、お前が少しでも脳ミソが使えるところを見せたいならな。早くしろ!」

 少女は怒声に怯えて、顔を引きつらせた。そして、肩を落としゲートに何ごとか入力していった。

「それでいい。お前は昔から愚鈍で、やること全て人の半分以下だったな。わたしもお母さんも、いつもお前が恥ずかしくてたまらなかった。だが、ようやくその苦しみが報われる日が来たわけだ!」

 赤い扉が少しずつ開いていく。男はSPを追い抜いてゲートに近づいた。しかし、とつぜん扉のなかから勢いよく炎がふきだした。それは一気に天井まで届き、大理石の床を舐めるようにして広がった。

「いい気味だわ! あなたなんか大っきらい!」

 審神者は、泣きながらさけんだ。ゴブラン織りの赤い絨毯を炎が飲み込み、壁の肖像画も焼けこげ始めている。父は吹き上げた炎に悲鳴をあげ、無様に走りまわっていた。

「主さま……いやな感じがします」

 懐に入れた五虎退が囁いた。

「“げえと”から、何かやって来るような気がするんです」
「どういう意味?」
「遡行軍が、来ます」
「なんですって!?」

 審神者が息をのんだ瞬間、ゲートから水たまりのような影が漏れ出て、近くのSPをなかに引きずりこんだ。やがて、そこから鋭い角と蜘蛛に似た八本肢を持つ鬼が顕現した。

「化け物だ!」
「ばか! 逃げて!」

 遡行軍は、いとも簡単に銃を構えたSPを影のなかに取りこんだ。ゲートから漏れる影は、そこここで遡行軍を吐き出し始めている。

「なんてこと……」
「主さまのせいじゃありません」
「いいえ。わたしの責任だわ」

 審神者は震える唇を舐めた。

「だから、わたしがなんとかしなくちゃ。まずは、ゲートを閉じる。そして、遡行軍を倒すの」
「わかりました」

 審神者は五虎退の刃を抜き、短い呪文を唱えた。そのとたん、布を織るように象牙色の光が少年を形作った。

「五虎退、いいわね」
「はい!」

 二人は、炎を避けながらゲートに向かって走った。遡行軍を発生していない影が、彼らを取りこもうとする度、床に落ちている燭台や花瓶を投げつけるのだった。

 上から触手のように振りかぶってきた影を屈んで避け、少女はゲートの柱にしがみついた。そこには、四角いガラス盤が備えつけられている。五虎退が、彼女を庇うように影と向き合った。

「主さまは、“げえと”に集中してください。お背中は、ぼくがお守りします」
「ええ。信じているわ」

 五虎退は、顔を赤らめてうなずき、己の敵と向き合った。

「座標は一六一五年五月七日の大阪城。これを今日に戻すだけ。簡単すぎるわ」

 少女は、自分に言いきかせるようにつぶやいた。いつも通り、人差し指でガラス盤に触れ“認証成功”の文字が現れるのを待った。しかし――

「どういうこと……?」

 急激に身体から力が抜け、ガラス盤に吸い取られているような気分だった。柱にもたれかかって、ようやく立っていられるほどだ。彼女はガラス盤を見つめ、ある可能性を思いついた。

 もしかしたら、このゲートは正規の方法で作られたゲートではないのかもしれない。だから、まれに霊力を多く必要としたり、遡行軍のいる場所を呼び出したりするバグが発生するのではないだろうか。

 でも、いまさら気づいたからってどうなるの?

 少女は歯を食いしばって、できる限り姿勢をよくした。“認証成功”の文字が現れた。震える指で、ゆっくり年号を入力していく。日付を打とうとしたとき、梁から蛇の骨のような化け物が襲いかかってきた。

「主さまにひどいこと、しないで!」

 後ろから素早く短刀が飛び、蛇の頭を柱ごと貫いた。

「五虎退、ありがとう」
「今度こそ、お守りできてうれしいです」

 少女は微笑んで、エンターキーを押した。閉じていくゲートに、遡行軍がみるみるうちに吸い込まれていく。五虎退が倒した短刀も黒い水のようになって、同じように消えた。

 これで、広間には吸い込まれそこねた遡行軍が数体残るだけだ。少女は部屋のあちこちから吹き上がる炎を見た。しかし、やがてその視線は一点に固定されたまま、動かなくなってしまった。

「お父さん!」

 黒檀製の巨大な扉をかきむしる父親に遡行軍が迫っていた。そいつは太刀の化け物で、どうみても父親一人で立ち向かえる相手ではなかった。

「五虎退、お父さんを助けて!」
「すみません。ぼくでは主さまをお守りするので精いっぱいです。それに――」

 五虎退は審神者の悲壮な視線から目をそらした。

「あの人は主さまを泣かせるから……きらいです」
「でも、わたしのお父さんなの!」

 しかし、太刀が刀を振り下ろしたとき、横の窓が音をたてて割れた。浅葱色の髪の青年がすばやく袈裟切りにして、化け物は黒い霧となって消えた。

「お迎えが遅くなってしまい、大変申し訳ございません」
「いち兄!」

 五虎退が、走っていって一期に抱きついた。

「よく主を守ったね」
「ぼく、頑張ったんです!」
「そうだね。あとは、わたしに任せてゆっくり休みなさい」

 少年の姿が消え、一期の手の中に白い短刀が落ちてきた。彼はそれに目を細め、大切そうに懐にしまった。

「一期一振、ただいま戻りました」
「遅いわよ……」
「おや、喜んでいただけないのですか?」
「――ばか!」

 少女は一期の胸にすがりついて、大声で泣きじゃくった。彼を見るといままで必死に堪えてきたものが決壊するようだった。彼女は、貪欲に自分が一番必要としているものをねだった。

「好きだと言って! 一期、お願いだから、わたしを好きになって」
「もちろん。愛していますよ」
「――ウソ」
「本当です。わたしは、あなたを愛しています。これからも、ずっと……」

 一期が痛いほどの力で少女を抱きしめた。しかし、彼女はちっとも気にしなかった。むしろ、その痛みが一期の愛情の証拠のようで、うれしくてたまらなかった。

 一期が耳元で囁いた。

「早くここを出ましょう。火の巡りが早い」
「こわくないの?」
「恐れがなくなったわけではありません。ただ、わたしにはこれがありますから」

 一期は誇らしげに手首に結んだリボンを見せた。

「だいじょうぶです」
「よかった」

 安心すると急に眠気が襲ってきた。一期の腕のなかは温かく、この世で一番安全な場所に思える。するとまた目蓋が重くなってしまい、彼女はやっきになって目を開けようとした。

「お力を使いすぎたからでしょうな。しばし、お休みください」
「いやよ。だって、眠ったら全部夢になりそうなんだもの。わたしは、いまも家族に嫌われていて、毎日どうしてわたしはこんなにダメなんだろうって考えてるの」
「主はダメではありません。それに、あなたの家族は、あなたをとても愛しています」

 一期は親指で少女の頬をさすった。

「家族……?」
「我々の本丸は、ひとつの家族みたいなものでしょう」
「それって、とても素敵な思い付きだわ!」

 少女の顔が喜びで輝いた。

「一期がお父さんで、薬研が頼りになるお兄ちゃんかしら。乱はおしゃれな妹。よく厚と喧嘩して薬研に叱られるの。でも、本当はとっても仲良しなのよ」
「ええ。そして、みんな一番うえのお姉さんが大好きなのです」

 一期がなだめるように目蓋に口づけると彼女はゆっくり瞳を閉じた。

「――わたしもみんなが大好き」

 そして、今度こそ少女は眠った。彼女のあどけない顔を見ていると、胸に刃物が差しこまれるように苦しかった。彼女はこれから素敵な女性になって、だれかを愛すことになるだろう。しかし、そこに自分はいないのだ。

 一期は寂しげな顔で少女を見下ろし、そっと唇を寄せた。

「愛している」

 再び、優しい口づけ。

「愛しているのに……」

 炎のなか、一期はずっと少女を抱きしめていた。やがて、柱が倒れ、二人の姿は紛れて見えなくなった。