モノノ アハレact 004

 室内に、紅茶どくとくの香りが広がっていた。

 鶴丸はティーカップ片手にカウチソファにもたれかかっている。最初、ブランデーを垂らした紅茶を毒抜きしていないフグを見る目つきで眺めていたが、いったん口をつけると気に入ったようで、もう何杯もおかわりしていた。

「おかしいと思ったんだ。きみの料理は彼女とまるで同じ味がしたから」

 鶴丸が唇をとがらせて言った。

「そうか。だから、だれに教わったかきいたんだね」
「――きみは、彼女の妹なのか?」

 審神者はティーカップを強く握りしめた。

「厳密にいうと、ちがうよ。でも、同じ施設にいてわたしをつききりで面倒みてくれたから、いつの間にかそう呼んでた。お姉ちゃんが審神者になるって聞いたときは、誇らしかった」
「さみしいんじゃなくて?」
「そりゃさみしかったけど、審神者になれば苦労することはないもん。それにかかさず絵葉書をもらったからね。鶴丸さんのことも書いてあったよ」
「おれの……?」

 彼は必死に気にしていないフリで尋ねた。

「なんだって?」
「優しくて、よく気のつくひとだって。加州くんも大和守くんのこともいい子って書いてあったよ。お姉ちゃんは家族がいないから、本丸のみんなを家族みたいに思ってたんだ」

 しばらくの沈黙。
 そして、彼女は目を伏せてつぶやいた。

「施設の子たち、みんな家族がほしいの。だから、お姉ちゃんに素敵な家族ができたって喜んでたんだよ。なのに、お姉ちゃんもその家族も死んじゃうなんて……つら過ぎるよ!」
「きみは――彼女が好きだったのか」
「そうだよ。あんな優しいひと、世界中探したっていないもん」

 少女は喉の奥からこみ上がって来るものを必死に抑えこもうとした。

「子どものとき、お姉ちゃんよりわたしのほうが病弱だったの。しょっちゅう熱を出していた。でも、施設のお母さんはみんなのものだから、ずっと一緒にいてもらえるわけじゃない。その度、お姉ちゃんが枕元でへたくそな歌を歌って、抱きしめてくれた。本当のお母さんってこんな感じなのかなあって、すごく幸せだった」
「ああ」

 鶴丸が先をうながした。

「だから、ときどきわざと頭が痛いフリをしたの。自分がどれほど卑しい真似をしているか、気づかずに……」
「なにがあったんだ?」
「べつに」

 審神者は首を振った。

「自分がバカだとわかっただけ。あの日、わたしは仮病でお姉ちゃんと眠っていた。でも、午前中も休んでいたせいで深夜に目が覚めてしまったの。隣りにいるはずのお姉ちゃんがいなくて、腹が立ったわ。朝まで一緒にいてくれる約束だったから。でも、そのとき窓際にだれか座っているのが見えたの。月の光を頼りに、鶴を折っていた。完成した折鶴が窓際にいくつも置いてあって……ものすごく、イヤな予感がした」

 審神者は唇を湿らした。

「わたしは、慌てて布団をかぶった。でもその晩は、全然眠れなかった。あの人がだれか、もうわかっていたから。翌日、こっそりお姉ちゃんのロッカーを開けたの。そのとたん、色とりどりの折鶴が大量に落ちてきて――鶴のなかに、こう書いてあった。震える字で、『治リマスヨウニ』。全部にそう書いてあった!」

 少女は頬に熱いものが伝っているのを感じていた。

「あんなにわたしを大事にしてくれるひとは、どこにもいない」
「――きみは、彼女のために来たんだな」
「愛する“家族”が死んだら、お姉ちゃんはきっと、すごく悲しむよ」

 鶴丸は彼女を見つめたが、やがてうつむいた。

「でもな、みんな悲しいんだ。あんまり悲しいから、どうすればいいかわからないんだよ」
「じゃあ、一緒に考えようよ」

 審神者はそっと彼の手を握った。色白で、自分よりずっと大きい手だ。しかし、鶴丸の手は氷のように冷たく震えている。両手で、何度も手のひらを擦ってやった。少しずつ熱が移り、彼の手が温もって来る。突然、鶴丸が言った。

「刀剣男士は、人間よりずっと体温が低いんだ」

 黄金色の瞳は、少女を通してどこか遠くを見ているようだった。

「雪の日。外から帰ってきたら、おれの手を握って彼女が大騒ぎさ。懐に温石を突っ込まれて、こんな風にずっと手を擦ってもらった――あのときは、温かかったなあ」
「お姉ちゃんのこと、大好きだったんだね」
「当たり前だ」

 鶴丸は恥ずかしげもなく認めた。

「あんないい女、惚れないわけないだろ。なんで彼女なんだ……」

 彼は、自分の頬に伝うものを恥じるように拭った。
 しかし、それは彼の意志に反して、なかなか途切れることはない。審神者は、鶴丸の気持ちが痛いほどわかる。だから、彼のためになにかしてやりたくなったのだ。

「一緒に寝ようよ」
「はあ!?」
「一緒に寝ようよ!」
「聞こえてるって!」

 鶴丸が、地の底まで届くようなため息を吐いた。

「なに考えてるんだ、チビ」
「だって鶴丸さん、いま悲しいんだよ。悲しくて、どうしようもないんだよ。わたしもそうだったから、わかる」
「だから?」
「お姉ちゃんと鶴丸さんが家族なら、妹のわたしとも家族でしょ。だから、一緒に寝よう。だれかと眠るって、安心するんだよ」

 審神者は鶴丸の腕をつかんで、無理やりベッドの縁に座らせた。本当は布団へ引っ張りこもうとしたのだが、あまりに抵抗されるので、いつの間にか寝入ってしまった。


 深夜。
 鶴丸はムスッとして、間抜け顔で眠る少女の頬をつまんだ。審神者が腕を掴んで離さないので、結局一緒に寝るハメになったのだ。

「まったく刀が添い寝なんぞ……」

 鶴丸はおおげさに嘆いて、枕もとにある百合型ランプを見つめた。オレンジ色の温かな灯りが、暗い室内をぼんやり照らしていた。シェード越しにベッドに映る影は、“彼”の三日月模様によく似ている。

 鶴丸は思わずそれから視線を外した。つい、昨日のことを思い出してしまったのだ。

 あの三日月が、自分たちと同じことを考えている……。
 それを知って、鶴丸はこわくなってしまった。彼は本気で、刀解されても構わないと考えていた。それが彼女に殉じることなら、なにも恐ろしくない。

 けれど、それはただの逃げだったのではないだろうか。だから、三日月の“間違え”に怯んだのだ。自分たちが本当に足を踏み外す前に、彼が止めてくれるだろうと甘えていた。だが、それは不可能だった。三日月もまた自分たちと同じくらい、悲しんでいるのだから。

 そのとき、背中に小さな衝撃が走った。少女が寝返りのついでに鶴丸を蹴ったのだ。

「こいつめ……」

 鶴丸は体勢を変えて、彼女のほうに向いた。あどけない顔だ。小さな鼻に、ソバカスの散ったまろい頬。唇が半開きで、小鳥のような寝息が聞こえる。

 彼は片肘をついたまま、じっと少女を見つめた。

 確かに、三日月は自分たちをとめなかった。しかし、代わりに主の妹がやって来て、鶴丸たちを救おうとしている。

 彼は天の威など信じないが(何しろ鶴丸たちだって八百万の神のひとりなのだ!) これは、彼女の意志かもしれないという考えがとりついて離れなくなっていた。

「お姉ちゃん」

 少女が、鶴丸の白い夜着にすがりついた。涙に濡れた頬を寄せ、しばらくおさまりのいい場所を探していたが、やがてお気に入りを見つけたらしくそのまま離れなくなってしまった。

「おい待て。あっちへ――行くんだ!」

 しかし、押し返そうと触れた彼女は、温石のようにぽかぽかしていた。これほど温かなものに触れたのはいつぶりだろう。鶴丸は誘惑に負け、おそるおそる少女を引き寄せた。

「なるほどなあ。生きてると、温かいのか」

 だが、まだきみを認めたわけではないんだぞ、と誰ともなく言い訳しながら、鶴丸は眠りの淵に落ちていった。それは、彼にとって久しぶりの優しい眠りだった。