モノノ アハレact 006

 夕方。
 少女は広間のソファに座って、将棋を打つ鶴丸たちを見つめていた。

 古い盤を見つけた乱が、無理やり引っ張って来たのだ。最初は渋っていた鶴丸だが、勝った方におかずを一品増やすと聞いたとたん、急に乗り気になっていた。

「なあ。待ってくれ」
「待ったはナシ。わーい! 飛車いただき!」

 乱が両手をあげて喜んだ。鶴丸は虚ろな顔で盤上を見下ろしている。審神者から見ると彼の勝ちは絶望的だった。

「鶴丸さん、勝てそう?」
「これで負けたんじゃ、驚きもなにもないだろ」

 とはいうものの、彼の目はクロールを泳いでいる。少女がため息を吐いて、紅茶のおかわりを入れようと立ち上がったときだった。

「加州清光を見てない?」

 眉尻を下げた大和守が広間のとば口から現れた。

「加州くん?」
「そう。本丸じゅう見て回ったけど、どこにもいないんだ。あいつ、主の部屋を守るってずっと引きこもってたくせに……」
「お手洗いに行ったんじゃない?」

 乱は首を傾げた。

「それか、散歩に行ったのかも」
「ありえないよ。あいつ、よっぽどのことがないと外に出なかったもん。それに部屋を出るなら、カギを閉めて行ったはずだ」
「つまり、“よっぽどのこと”が起きたかもしれないな。いますぐ加州を探しに行こう!」

 鶴丸が盤上から目をそらし、さっさと立ち上がった。

「言っておくけど、盤の様子、覚えておくからね」
「あいつだって立派な刀剣男士だろ。たいていのことは自分でなんとかするさ」

 鶴丸は立ち上がったのと同じくらい素早く席についた。

「でも、なんだかイヤな予感がするんだ。あいつ、ちょっと様子がおかしかったし」
「杞憂だろ」
「――わかった」

 審神者が硬い声でこたえた。

「加州くんを探しにいこう」
「誤解を招く言い方だったかもしれないけど、お前のせいだとは思ってないよ」
「ありがとう」

 少女は強張った笑みを浮かべた。
(ぜったい、わたしのせいだ!)

「とにかく心配だから探しに行くね。外を見に行ってくる」
「ボクも手伝うよ!」

 そして、二人は競い合うように広間を出て行ってしまった。
 彼らの姿が完全に消えたのを見届け、鶴丸は深いため息を吐いた。先ほどまでの憔悴を消し去り、大和守はのんびり乱が座っていたソファに腰かけた。

「それで、あいつらを追い出して……いったい何の用だ?」
「色々、ききたいことがあるんだ」

 大和守が、いたずらっぽく微笑んだ。


 ときおり、薫衣草に足を取られそうになりながら、少女は全速力で走っていた。
 二手に別れてから、すでに十五分は経過している。目ぼしいところは見てしまったから、あとは“あそこ”しかなかった。

 小高い丘は、紫色の絨毯をしかれているようだ。遠くには、雪を被った灰色の尾根。どこまでも続きそうな田園風景を、本丸に続く一本道が切り裂いている。

 少女は薄緑の短い橋を渡り、小川の上流へとさらに駆けた。
 そして、急流をぼんやり見つめる少年を発見し、ようやく足をとめた。審神者は涙が出そうになった。彼の背中が、あまりに孤独すぎたのだ。

「加州くん」
「なんでいるの?」

 加州はぼう然とした様子で尋ねた。審神者は微笑して、くたびれた絵葉書を取り出した。

「ここ、お姉ちゃんのお気に入りの場所だもん。何度も絵で見たから、覚えちゃった」
「“お姉ちゃん”? お前、あのひとの妹……?」
「そう。だから加州くんの気持ち、よくわかる。わたしもお姉ちゃんが好きだから、忘れてほしくない」
「当たり前だろ。おれは主が好きなんだ! なのに、もう声も思い出せない。これじゃあ、彼女を二度失っているようなものじゃないか――帰ってよ!」

 加州が癇癪をぶつけるように怒鳴った。

「お前がいるから、主を忘れちゃうんだ!」
「関係ないよ」

 少女は首を振った。

「わたしが帰っても、加州くんは忘れる。だって、そういう仕組みだから。どんなことも、いずれ思い出になるんだよ」
「イヤだよ」

 加州がうめき声をあげた。

「なんでそんなひどいことするんだ……」
「――生きていくから。ひとは生きるために、忘れるんだよ」

 少女は手を伸ばしたが、彼はそれを無視した。

「ひどい。こんなに悲しいなら、ひとになんてならなきゃよかった」

 加州はうずくまって肩を震わせた。審神者は彼の気持ちが痛いほどわかる。

 だから、薫衣草に膝をつき、かぶさるように抱きしめた。抵抗され、ひどい言葉も投げつけられたが、全く気にならない。ただ優しく背中に触れ、いたわるようになで続けた。

 やがて、震えはおさまった。肩をたたいて促し、やっと顔をあげてもらった。
 整った顔が台無しだ。鼻水でドロドロだし、目は赤く腫れぼったい。それでも、加州はいままで一番かわいく見えた。

「お姉ちゃんの話しをきかせてよ。少しでも覚えておけるように」

 か細い声で続ける。

「それで、わたしとお姉ちゃんの話しもきいて。わたしが、お姉ちゃんを忘れないために」
「お前も忘れたくないの?」
「そうだよ。大好きだもん」
「なんだ……」

 加州はあきれるように笑った。

「おれたち、同じじゃん」

 二人はお互いを慰めるように抱きあった。背中にしっかり腕を回し、すき間を埋めるようにくっついた――彼女を失った悲しみを少しでも埋めるために。

 愚かにも、彼らは自分たちがどこにいるか全く考えていなかった。突然の目まいが加州を襲い、急流に背中から倒れこんでしまった。もちろん、抱きしめていた審神者も道連れだ。

 春先の水は冷たく、川は驚くほど深い。少女は流されそうな加州を必死に引き寄せ、淵にしがみつかせた。長期間の断食は、すっかり力を奪っていたのだ。

「離せよ」

 加州は水を吐きながらうめいた。

「お前だけなら、助かるでしょ」
「そんなの無理だよ……わかるよね」

 しかし、加州はもう意識を失っていた。蝋のように白い手が淵を離れ、顔が水に沈む。少女は寸でのところで、その腕をつかんだ。ただ、小柄な少女には加州を陸に押し揚げる力はない。それどころか、彼を繋ぎとめるのさえ限界だった。

 審神者は、悲鳴をあげ淵から手を離した。喉の奥に冷えた水が流れ込み、苦しくて息が出来なくなる。
 意識を失う前、瑠璃色の狩衣を見た気がした。


 広間。
 鶴丸は窓辺によりかかって、眼下に広がる薫衣草畑を見つめていた。
 数日前の豪雨のせいで、河川はひどく増水しているだろう。いくら動揺したからと言って、あそこに行くとは思えない。

「心配なの? あいつ、それほどばかじゃないと思うけど」
「ああ」

 鶴丸は、無理やり窓の外から目をそらした。そうだ。加州は行くわけがない――たとえば、だれかにそそのかされない限り……。彼はイヤな予感を払うように首を振った。

「それより、あの子が来たのは主のためか……」

 大和守は、唇をいじりながらつぶやいた。

「予想が外れたな。てっきり、三日月さんのためかと思っていた」
「はあ? どうして三日月なんだ?」
「知らないの? 彼女、三日月さんを好きなんだよ。だから、三日月さんが刀解されるのがイヤなんだ」

 鶴丸はあまりの驚きに口をポカンと開けた。

(あのへちゃむくれが、三日月に恋だって!?)

「いやいや。あり得ないだろ」
「それが、あり得るんだなあ。ぼく、現世で彼女を見たもん。顔を真っ赤にして、三日月さんにうっとりしてたよ」
「いつ!?」
「四年くらい前かな。主が一度だけ帰省した日を覚えてる?」
「ああ。よく覚えてる」

 鶴丸は額に触れながらこたえた。

「きみと三日月を随伴にして現世に行った日だろう。おれは“じゃんけん”に負けて鎌倉へ遠征だった」
「そうだっけ? ご愁傷さま」

 大和守が肩をすくめた。

「確か、あの日、主は長い間、みすぼらしい建物で女の子――“彼女”としゃべってた。とても仲が良さそうだったよ。ただ、途中で大人に呼ばれて席を外したんだ。主は三日月さんに話し相手をするよう命じて、ぼくを挨拶に連れていった。だから、その十分かそこらの間に、何を話したかは知らない。でも、帰ってきたら、彼女は三日月さんに夢中だった」

 大和守は、その光景を思い出す風に目をつむった。

「風が吹いて、女の子の帽子が飛んだんだ。そしたら、三日月が上手く捕まえて――きっと冗談でも言ったんだろうな――笑いながら、差し出した。それで彼女ははにかんでうつむくんだ。どうしたって、ピンときちゃうよ」
「だが、三日月は主を愛していただろう」

 鶴丸が低い声で遮った。

「チビは、知らなかったのか?」
「知っていたと思う。でも、好きになっちゃったんでしょ。肝心の二人は気づいてなかったけどね。その証拠に、三日月さんは彼女を微塵も覚えてなかったし」
「だろうな」

 鶴丸は安堵の息を吐いた。あの娘にはかわいそうだが、三日月は主に夢中なのだ。それ以外の女はジャガイモにしか見えないだろう。

「くやしいでしょ」

 いつの間にか、大和守がからかうような笑みを浮かべていた。

「くやしいって、なにが?」
「あの子が取られちゃってさ。惚れた女もかわいがってる娘も三日月さんに首ったけだもん」
「おれがチビをかわいがってる?」

 鶴丸は肩をすくめた。

「役に立たない頭は取り替えるのをオススメするぜ」
「だって、そうとしか考えられないもん」
「どこが……」
「鶴丸さん、あの子と一緒に寝たよね。お前はいいひとだけど、他人を“線”の内側に入れないでしょ」

 見透かすような微笑。

「でも、惚れてなくてよかったじゃん。二人目も同じ男に取られちゃ、悲惨過ぎて逆に面白いよ」
「おれは――断じて――かわいがってない」

 大和守は鶴丸の主張を笑って流した。ソファを立ち、広間を出て行こうとする。しかし、呼び止める前に、逡巡したように立ち止まった。

「――三日月さんには、気をつけて」
「いいか。ひどい誤解だ。おれはチビに思い入れなんてないぞ」
「ちがうよ。ぼくらが主の部屋で籠城したのは、彼女恋しさだけが理由じゃないんだ」
「じゃ、他にどんなわけがある?」

 大和守は緊張したように唇をなめた。

「主って、なんで死んだのかな」
「風邪をこじらせたからだろ――思い出させるな」
「でも、看取ったのは三日月さんだよ。あとでなんとでも誤魔化せる」
「まさか……」

 鶴丸は彼の緊張が移ったように口のなかがからからになった。

「あいつを疑ってるのか?」
「さあね」

 大和守は硬い口調で言って広間を出て行こうとした。

「大和守!」
「……なに?」
「お前が、チビを呼んだのか」
「呼んだって……?」
「いや」

 鶴丸は首を振った。

「なんでもない」

 大和守は軽くうなずくと足早に階段を上っていった。


 だれもいない広間に、鶴丸一人が残される。
 考えることが多すぎて――さらにそのどれもがこたえの出ない問いなので、鶴丸は衝動のままに髪をぐしゃぐしゃにした。

「いったい、おれにどーしろっていうんだ!?」

 空しい絶叫が広間に反響する。とたん、鶴丸はばかばかしくなって、スプリングのきいたソファにもたれかかった。できるなら、いま聞いたことを忘れてしまいたかった。

 ちょうどそのとき、玄関扉のしまる仰々しい音が響き渡った。
 それから、まるで重しを抱えて歩いているような軋みが聞こえてくる。彼は広間のアーチをくぐり、邪気のない笑みを浮かべた。

「おお、鶴丸。よいところで会った」
「きみ、いったいなにがあった?」

 鶴丸は血相を変えて立ち上がった。三日月宗近が両肩に加州と審神者を背負っているのだ。そのうえ、彼らはぐっしょり濡れて気を失っているようだった。

「遡行軍に襲われたのか?」
「いいや。拾った」
「拾った!?」
「――おれは加州を看よう」

 そう言って差し出されたものを鶴丸は反射的に受け取ってしまった。審神者だ。彼は混乱した顔で両者を何度も見比べた。

「三日月、チビは?」

 しかし、彼は意味深な笑みを浮かべただけだった。

「なあ、待てよ。こいつ、だれかが面倒見てやらないと……」
「死んでしまうな」

 三日月は当たり前のように言った。そして、いつもの穏やかな微笑を浮かべつけ加える。

「そうなれば、この本丸は刀解処分かもなあ」
「三日月!」

 彼はなにも言わなかった。もうこの場に用はないという風に、加州を抱えたまま廊下の奥に消えてしまった。

「乱……」

 鶴丸はこの本丸で一番適任だろう人物を呼んだ。しかし、こたえはない。当たり前だ。彼は、未だ加州を探し続けているだろう。つまり、彼女を助けてやれるのは自分しかいないのだ。

「きみ、起きろ」

 鶴丸は少女の頬をピシャリとたたいた。気つけのつもりだったのだ。しかし、彼女の頬は氷のように冷えきっていた。唇は蒼ざめて震え、頬が色を失っている。

 鶴丸は、海藻のように張りついた髪を払ってやった。そして、今度は手の甲で彼女の体温を確かめた。やはり、驚くほど冷たい。昨日抱えた身体は、温石のように温かかったのに……。

 そこで、ふいに主の最期の姿が蘇った――石のように強張って、冷えた身体。

「ああッ!」

 鶴丸は舌打ちして、立ち上がった。

「起きたら、おかず一品じゃ済まさないからな!」

 そう吐き捨てて、走り出す。それは彼らしくない我武者羅で、切羽詰まった様子だった。