少女が目を覚ましたのは、知らない部屋だった。
それに、室内がひどく暑い。ベッドを五台の石油ストーブが取り囲み、布団のなかには温い石がいくつも放りこんである。
彼女は目まいを感じながら寝返りを打って、また度胆を抜かれた。安らかな顔の鶴丸国永が隣りで眠っているのだ。
審神者は彼を見つめながら、いったいなにが起きたのか正確に思い出そうとした。
(確か加州くんを探しに行って……)
「起きたかよ」
鶴丸は髪をかき上げながら尋ねた。そしてやにわに手を伸ばして、審神者の額に触れた。
「問題なさそうだな」
「あなたが助けてくれたの?」
「いいや」
彼はぶすっとした顔でこたえた。
「おれじゃない。詳しくは三日月に聞け」
「――三日月さんが……」
少女が、照れくさそうに目を伏せた。それを横目でうかがい、鶴丸はため息を吐いた。大和守が正しいとよくわかったのだ。彼はベッドから降りてストーブを消し、振り返った。
「きみ、三日月が好きなのか?」
「どうしてそんなこときくの?」
審神者は露骨に動揺していた。頬がみるみるうちに紅潮し、毛布を強く握りしめた。その純情な様子をみて、鶴丸はみぞおちが冷たくなった。
「きみ、本丸は家族だと言ったよな」
「うん」
「正直に言うと、おれはそれを気に入ったみたいなんだ……この鶴丸国永が」
鶴丸は気まずそうにそっぽを向いた。
「あんまりきみが家族だ家族だというから、情が湧いてしまった。だから、“家族”のよしみで教えてやる。三日月宗近は諦めろ。あいつ、とんだ悪党だぜ」
「どうしてそんなこと言うの?」
彼女はいぶかしげに首を傾げた。
「鶴丸さんと三日月さんは友だちでしょ」
「長いつき合いだから、あいつのことはよく知ってる。だから、忠告してやったんだ」
「そう言われても……三日月さんが悪いひとだとは、思えないよ」
「あのなあ、三日月は悪いヤツじゃないが、あいつに惚れると始末が悪いんだ」
それに……と、大和守の言葉がよぎったが、鶴丸は途中で口を閉じた。代わりに少女の耳をつねって、布団に戻るよう促した。
「寝てろ。おれは、これをしまってくる」
箪笥からずた袋を取り出して、温石をしまった。一階の物置から引っ張り出したのだ。貼れば温かくなる面妖な袋はもう残っていなかった。
「鶴丸さん」
部屋を出るとき、少女が照れくさそうに微笑んだ。
「ありがとう」
鶴丸は廊下を抜け、ようやく階段の踊り場で立ち止まった。壁に背中をつけてもたれかかる。自分は彼女に調子を崩されてばかりだ!
(そもそも、どうしておれが、あんなへちゃむくれの介抱なんぞしなきゃならなかったんだ?)
そう自己嫌悪で頭を抱えとき、上段に誰か立つ気配がして素早く上を見上げた。
「悪党とはひどい言いざまだ」
瑠璃色の狩衣の男が、階段をゆっくり降りてきた。
「――廊下まで響いていたぞ」
「三日月……」
彼は悲しげに微笑んだ。
「お前も加州も乱も薄情だな。もう主を忘れたのか?」
「忘れてない。いまも好きだ」
「あの娘より?」
「当たり前だろ! 主の代わりなんていない……どこにも」
鶴丸は言葉に出す辛さに耐えかね、うつむいた。しかし、すぐ挑むような口調で続けた。
「だけど、あの娘だって彼女を失って苦しんでる。おれたちと同じだ」
「ああ、そうか」
「そうだよ」
鶴丸は意気ごんでうなずいた。
「それに、あいつがこの本丸を放り出してみろ。おれたち仲良く消し炭だぜ」
「お前は、彼女が好きなのだな」
「なんで――そんな話しに――なるんだ!」
鶴丸は思わずさけんだ。
「あんな生意気なチビ、好きになるわけないだろう」
「そういう瞳をしている」
「してない!」
三日月は鶴丸の無自覚を憐れむように笑った。
「だがなあ、おれには主がいないことが不思議でたまらない。彼女に会うにはどうすればいいか、そればかり考えるんだ」
沈黙。
「おい、まさか……」
「お前にも加州たちにもすまなく思っている――一緒に死んでくれ」
三日月の笑みは、壮絶なほど美しい。あまりの情念に鶴丸は怖気だった。主を失い、自分は自棄になりかけた。
しかし、例の娘が現れ、考えを改めたのだ。鶴丸は主の思い出を抱き続ける。そうして生きることが、主と永遠に寄り添うことではないだろうか。
だが、三日月はそう考えない。彼は未だ深い穴の底にいるのだ。
ただ主を愛していたから、彼女が“いない”ことが許せない。
「畜生」
いつの間にか、三日月は消えていた。鶴丸は壁にもたれたまま、床に座りこんだ。
ひどく打ちのめされた気分だった。改めて失恋し、三日月への敗北感に気力を根こそぎ奪われてしまった。
少女はベッドから半身を起こし、神妙な顔の加州たちを見つめていた。
彼らは審神者が目を覚ましたのを知らなかったらしく、見舞いに来ただけだったらしい。ドアを開け、目があった彼らはたっぷり三十秒ほど固まっていた。
「悪かったよ。さんざんひどいこと言って」
加州が浮かない顔で尋ねた。
「どこもケガしてない?」
「平気だよ。心配してくれてありがとう」
「だと思った。お前、滅多なことじゃ死ななさそうだもん。あと、おれはもう関わらないから、安心して」
「関わらないって……」
少女は顔をしかめた。
「だれに?」
「お前に。そっちだって、悪態つかれたり川に落とされたりするヤツとはつき合いたくないでしょ」
「そんなことない。いきなり家に入りこんで来たひとを警戒するのは当たり前だもん。加州くんは悪いことしてないよ」
審神者は加州をじっと見つめた。
「わたしは、加州くんと友だちになりたいの」
「ばかじゃないの!?」
加州は思わず立ち上がった。そして、もどかしそうに口を開けたり閉じたりする。なにか言いたいが、適切な言いまわしが思いつかないという風だった。
「つまり、こいつはお前と顔を合わせる資格がないと思ってるんだよ」
大和守が呆れたように口をはさんだ。
「わかった」
審神者は真剣な顔でうなずいた。
「奥の手をつかう」
「奥の手?」
「うん」
少女は、わざとらしく額をおさえた。
「ああ、クッションのぶつかったところが痛むなあ……この痛みは、加州くんが友だちになってくれないとおさまらないなあ」
「それは……」
「うーん、頭が痛いなあ」
「わかったよ!」
加州は顔を真っ赤にして怒鳴った。
「友だちになればいいんでしょ!」
「ありがとう」
「――お前、性格悪いって言われない?」
少女は誤魔化すように微笑んだ。
「これからは一緒にお姉ちゃんの話し、いっぱいしようね」
「……うん」
差し出した小指と加州の小指がからまる。
姉を愛した二人は、こうして仲直りすることができたのだった。
しばらく、三人は険悪だった時間を埋めるように世間話をして笑いあった。
加州の言葉を大和守が皮肉って、少女が笑う。彼らは久しぶりの穏やかな時間を存分に楽しんだ。
そのとき、開けっ放しのカーテンが風にはためいた。外は変わらず晴れていたが、風が少しずつ強くなっている。
「激しい雨になるね」
加州が予言するようにつぶやいた。窓のかけ金をしめ、カーテンを留める。そして、険しい顔で振り返った。
「お前さ、三日月さんには気をつけたほうがいいよ」
「どうして?」
少女が戸惑うように目を瞬かせた。
「――主を愛してたから。ようやく気づいたよ。一番傷ついているのは、あのひとなんだ。だから、いまどうすればいいかわからないんだよ」
「どういう意味?」
「清光」
大和守が低い声で遮った。
「おかゆつくって」
「いま……?」
「そう。お前、料理得意だろ」
「そりゃあそうだけど……」
二人の視線がぶつかり、加州は大和守の真意を察した。だから少女の肩を軽くたたき、軽やかな歩調で外に出て行った。
扉が閉まり、審神者は困惑した顔で大和守を見つめた。いくら自分でも大和守が意図的に加州を追いだしたことはわかる。しかし、彼が自分にどんな用があるのだろう?
大和守は椅子に片ひじをつきながら断言した。
「お前、三日月宗近が好きなんでしょ」
「――うん」
少女は正直にこたえた。
「どうして? 望みないよ。三日月さんは主が好きなんだ」
「そこがいいの。お姉ちゃんが審神者になって、すごくさみしかった。あなたたちに焼きもちを妬いてた。だから、帰省してくれたときは、すごく拗ねてたの」
「知ってる」
大和守は含み笑った。
「お前、ふて腐れてなかなか顔を出さなかったんだ」
「恥ずかしいな。知ってたの?」
少女は頬を赤く染めた。
「話したら、お姉ちゃんが帰っちゃうんじゃないかと思ったんだよ。またずっと会えなくなるって。そのとき、三日月さんが頭を撫でてこう言ったの。主と一緒にいたいなら、いい方法を教えてやるって」
「それって……」
「うん。わたし、三日月さんのおかげで審神者になれたの。でも、彼が親切にしてくれたのはお姉ちゃんのため。お姉ちゃんが一番なんだよ。だから、好きなの。お姉ちゃんに恋している三日月さんが好き」
「ぼくにはよくわからないけど」
大和守が凪いだ瞳で、こちらを見た。
「それは、ただのワガママだよ」
「――わかってる。でも、三日月さんには恩があるから」
「ウチに来たってわけ?」
「……ちょっとちがう」
少女はかすれた声で否定した。
「みんなと過ごして、ようやく気づいたんだ。本当はお姉ちゃんのためでも三日月さんのためでもなかった……。手紙には、みんなのことがたくさん書いてあったから。つらいとき、何度も読み返した。鶴丸さんが、お姉ちゃんに内緒でバースデー・パーティーを開いたこと。加州くんたちが雪合戦をしたこと。三日月さんとサクラを見たこと。いつの間にか、わたしも家族の一員になれたと思いこんでいた」
彼女は布団に顔をうずめた。
「みんなが好きなの。自分のためだった。他になにもないから。わたしは、みんなが死んじゃうのがイヤだったんだよ!」
「――帰りな」
大和守は急に突き放した口調で言った。
「荷物をまとめて、一刻も早く帰るんだ」
「わがままを言ってごめん。でも、帰りたくないの。あなたたちが刀解されるなんて、ぜったいイヤ」
「ここは危険なんだってば!」
大和守が初めて声を荒げた。
彼はいら立ったように髪をかきあげるといく分、落ち着いた声で続けた。
「ぼくは三日月さんが具体的に何を企んでいるか知らない。でも、目的だけはわかる。彼は、主の思い出と心中したいんだ。そのためなら、ぼくらの……そして、きみの犠牲なんて訳ない」
「そうかもしれない」
少女はうなずいた。
「あまりに悲しくてそう思っているのかもしれない。でも、本気でそんな真似するとは思えないよ。あんなに優しいひとが、他人を犠牲にするはずない」
「本当にそうかな?」
部屋の扉が、勢いよく開く。どこか憔悴した顔の鶴丸と乱が、そこに立っていた。