モノノ アハレact 008

「鶴丸さん……」

 彼は一瞬審神者を見たが、すぐ目をそらしてしまった。そして、そのまま出窓に片ひざをついて座った。

「三日月は本気だぜ」
「どういう意味?」

 大和守が壁にもたれかかった。

「本丸を廃棄するのに邪魔なら、チビを殺す準備があるということさ」
「殺すって……そんな、おおげさな」

 少女は疑わしげに首を傾げた。

「おおげさじゃないよ!」

 乱が蒼い顔で審神者の手を握った。

「初日に加州が投げたクッション。なかに、文鎮が入ってたんだ」
「文鎮って……」
「そう。主が贈ってくれたもの。一つ欠けていたでしょ。あれには、見分けがつくようそれぞれ紋が彫られてるんだ。ボクは風に靡く牡丹、鶴丸さんは翼を広げた鶴、三日月さんは二重(ふたえ)の三日月」

 彼は震える手で懐から丸型の文鎮を取り出した――紋様は、二重の三日月。

「……大和守」

 鶴丸は何かを促すように彼を見つめた。

「これって、彼女に知らせるべきこと?」

 大和守は眉間にしわを寄せて尋ねた。

「当たり前だろ」

 鶴丸はあっさりうなずいた。

「何も知らせず、ただ帰れは”ふぇあ”じゃない」
「ぼくには、ただの八つ当たりに見えるけど」
「どういう意味だ?」

 訝しげな声に、大和守はため息を吐いた。

 自分は主に恋していなかったから、鶴丸の気持ちが手に取るようにわかるのだ。後々、彼がこの行動を悔やむだろうことも……。しかし、もちろん鶴丸の言うことには一理あった。

「清光がお前を巻き込んで溺れた件。いつものあいつなら、増水した川なんかに行かないよ」
「それは、わたしが加州くんを動揺させることを言ったから……」

 大和守はあっさり首を振った。

「あの程度でショック受けるほど、やわじゃない。だからぼくも放っておいたんだ。でも、そうじゃなかった。あいつはわざわざ外に出た。気分を変えたかったから。つまり、誰かにそそのかされたのかも」
「それが三日月さん?」
「うん」

 彼は神妙な顔でうなずいた。

「きみたちが清光を探しにいってる間、ぼくは鶴丸さんと話していた。部屋に戻ろうとしたとき、階段を降りてくる三日月さんとすれ違ったんだ。つまり、彼は主の部屋に用があるから、邪魔な清光を追い出す必要があった。ついでに、お前を巻きこんで、なにか起きればいいと期待したのかもね」
「推測だよ。三日月さんはたまたま上にいただけかもしれない」
「残念だね。清光は三日月さんに会ってる。あいつはばかだから、けしかけられたことにすら気づいてないけど」

 少女は毛布を強く握りしめた。そして深く息を吸い、冷静であるよう必死に自分に言い聞かせた。

「わかったよ。でも、どうして三日月さんはお姉ちゃんの部屋に入りたいの? 何か忘れ物があるんだったら、加州くんたちがいるとき、お願いすればいいでしょ」
「ぼくらがいたら、不都合なんだ」
「不都合……?」
「つまり、三日月宗近が主を殺した可能性がある」
「ばかな!」

 少女は思わず大声をあげた。

「そんなこと、あるわけないよ! 三日月さんとお姉ちゃんは好きあってたんだよ。そんな相手を殺すなんて、ぜったいない!」
「でも、三日月さんが犯人だから、主の部屋に証拠を消しに来たんじゃないの」
「ありえない。あのひとは、優しいから……」
「きみは、あいつを優しい優しいと言うが、三日月のなにを知ってるんだ?」

 急に鶴丸が冷ややかな声で割りこんだ。

「一時の思い出を美化しているだけだろう」
「ちがうよ。お姉ちゃんの葉書から伝わってきた。三日月さんは優しい。優しいから、お姉ちゃんが好きになったんだよ」
「――そうかい」

 鶴丸の瞳が傷ついたように揺れた。しかし、それは一瞬のことだったので、誰にも気づかれなかった。彼は乱暴な手つきで、ビニール袋を放り投げた。

「これを見ても、そう言えるか?」

 赤いゴムでとめられた半透明の袋。
 少女は思わず息をのんだ。中身にイヤというほど見覚えがあった。自分が姉にかかさず出した手紙。水に濡れて折れたり破れたりしたものが大量に入っていた。

 そしてようやく、アルバムの欠けの正体に気づいた。あそこには自分が書いた手紙が入っていたのだ!

「障りがあって、それしか掘り出せなかったがな。まだまだたくさん詰まってたぜ」
「詰まってた?」

 震える声。

「この前、加州が一階の便所が使えないと言っていたんだ」

 鶴丸は何かを仄めかす口調で言った。

「まさか……ウソだよ……」

 少女の脳裏に手紙を書いた日々がこう水のように蘇った。
 手紙に貼りつけるため、サクラの花弁を跳びあがって掴もうとした春。汗を拭き拭き書いた夏。涼しい風が心地よかった秋。降り積もる雪に、かじかむ手を擦りながら書いた冬。

 姉への想いをずたずたにされた気分だった。

「ウソだよ……」

 とび色の瞳からぼた雪のような涙がいくつも盛り上がって、次々布団を濡らした。
 少女が大きなベッドで声を殺して泣く姿は、見るものに深い憐れみと後ろめたさを感じさせた。つまるところ、自分たちが彼女を泣かせたのだ。

 大和守は、ぼう然とした様子で彼女を見つめる鶴丸に声をかけた。

「一緒にいてあげなよ。鶴丸さんがそうすべきだよ」
「……わかってる」

 彼は血を吐くような声でこたえた。大和守はしょんぼりした乱を促し、そっと部屋の扉を閉めた。

「どうしよう。ボク、あの子を泣かせちゃった!」
「だいじょうぶ。いまは彼に任せよう。明日、謝りに行こうね」
「うん……」

 大和守はなだめるように乱の肩をたたいた。

 そして小声で審神者に謝った。
 本当に慰めを必要としているのは、鶴丸のほうだからだ。彼の悲しみは三日月と同じくらい深かった。けれど、自分たちは彼の面倒見のよさを頼って、それを見て見ぬフリさせてしまった。

「――きっとあの子が二人を救うんだ」
「おかゆ持ってきたよ! 乱、どうして泣いてるの?」

 クリーム色の土鍋を持った加州が小走りでやって来た。彼は部屋を閉め出されたような二人を見比べ、不思議そうな顔で尋ねた。

「着替えでも覗いた?」
「ぼくは清光のそういうところが、とーってもうらやましいよ!」

 思わず大和守が悪態つき、乱が吹き出した。彼らはようやく、悲しみを乗り超え始めていた。


 室内に気まずい沈黙が落ちる。

 少女はもう落ち着いていて、先ほど子どもっぽく泣いたのがひどく恥ずかしかった。
 しかし、今度は鶴丸が落ち着かなくなる番だった。彼はベッドわきの椅子に座ったり出窓に戻ったり、冬眠明けのクマみたいに部屋のなかをうろついていた。

「鶴丸さん……」
「なんだ? なにがほしいんだ? 寒いのか、いや暑いのか!?」

 少女は彼のあまりの慌てぶりに吹き出した。

「平気。こっち来て、お話ししよう」

 鶴丸は困ったように眉尻を下げたが、審神者がベッドをたたくとしぶしぶこちらにやって来た。彼が神妙な顔で腰かけるとベッドが高い音で軋んだ。

「……悪かった。泣かせるつもりはなかったんだ」
「気にしてないよ。ただちょっと驚いただけ」
「おれは、きみに聞く権利があると思った。なにも知らず“帰れ”はおかしいだろう」
「うん。ありがとう」

 しかし、鶴丸は投げやりに首をふった。

「ウソだよ。おれは、正義感からあんなことをぶちまけたんじゃない。大和守の言う通りさ。きみに八つ当たりしたんだ」
「――どういう意味?」
「結論から言うと、きみが三日月を好きなのが気に食わなかった。彼女はあいつが好きだった。そして、妹のきみもそう。つまり、嫉妬したわけだな!」

 彼の声は、自己嫌悪が一回転してもはや堂々としていた。

「おれは、主が好きだ。それはだれにも負けるつもりはない。彼女を失って、言葉に尽くせないほど悲しかったんだ。つい、ばかなことを考えるほど……でも、おれの悲しみなんか、三日月に比べたらなにほどでもなかったんだな」
「そんなこと、言っちゃダメだよ」
「なんで?」

 少女は鶴丸を背中から抱きしめた。彼の白いうなじを隠す髪が頬をくすぐった。

「悲しみや不幸はだれかと比べるものじゃないから。三日月さんは本当に悲しかったと思う。でも、それであなたの悲しみがなくなるわけじゃないんだよ。鶴丸さんだって、つらかった。すごく悲しかったんだよ」
「そんなことないさ」

 嘲るような笑い声。

「おれはあいつのように思いつめられなかった」
「優しいからだよ! 自分のことより他のみんなを優先したの――鶴丸さんは、泣いてもいいの」
「……泣くもんか」

 鶴丸はそう言いながら少女の腕に頬を寄せた。水玉の寝間着に次々染みが増えていく。審神者はそれに気づかないふりをして彼を守るように抱いてやった。


 いつの間にか、雨だれが窓を打つ音が響き始めている。
 鶴丸は、気まずそうに涙に濡れた顔を余所へ向けた。

「明日、帰れ」
「やだ」
「やだじゃない。説明したろ。あいつはもう形振り構わない。きみが帰らなきゃ、どんな手段に出るかわからないぞ」
「そうは思えないよ。だって、三日月さんは……」
「言うな」

 鶴丸が人さし指で審神者の唇を押さえた。そして、ふて腐れた顔で続ける。

「おれだって優しいだろ!」
「それはそうだけど……」

 少女は困ったように眉尻をさげた。

「いいから帰ってくれ。きみが傷つくところを見たくないんだ」
「でも、刀剣三原則で“審神者のものを奪えば罰があたる”よ。命まで狙わないよ」
「きみは本当に太平楽だなあ」

 鶴丸は『本当に』のところを強調して言った。

「『例外』はいくらでもある。それに、もし罰が当たるとして、あいつがそんなことを恐れると思うか? むしろ願ったり叶ったりだろう」
「じゃあ、鶴丸さんは本丸が刀解処分になってもいいって言うの?」
「いいぜ」

 きっぱり言った。

「これは主が亡くなったからって、投げやりな気持ちじゃない。他の連中も同じことを考えてる。刀剣は、主人を守るものだからな。愛しているから、守りたい。そしておれたちは最期に、きみを守れる」

 鶴丸はそう言うと布団をあげ、隣りにもぐりこんで来た。
 黄金色の瞳が優しげに細められる。彼は口を開けたが、結局なにも言わずに背を向けて眠ってしまった。


 審神者は起き上がって、眠る鶴丸を見つめた。
 ほっそりした輪郭に高い鼻梁。いつも悪戯っぽく輝いている瞳は、長い睫に縁どられている。

 審神者は彼の女性的な美貌に思わずため息を吐いた。手を伸ばして、頬に触れる。まるで、凍った鉄のように冷たかった。

「――こんなに優しいのにね」

 少女は彼らが優しいことをもう知っている。だから危険がある限り、己の身を顧みず少女を現世に帰そうとするだろう。きっと今夜がチャンスなのだ――三日月とちゃんと話しをする最後の。

「三日月さんは、お姉ちゃんを殺してない」

 審神者は改めて自分の考えを確認した。しかし、信じていた三日月と実際の彼がちがうのも事実だ。少女はトイレに流された手紙を見て、こわくてたまらなかった。

「じゃあ行かないつもり?」

 少女は再び鶴丸の安らかな寝顔を見つめ、布団を握りしめた。
 自分は鶴丸たちが大好きだ。お姉ちゃんが愛したように、少女も彼らを愛している。だから、刀解させてはならない。自分は彼らと生きるのだ!

 そして、彼女はおさげを結い直すと自分を励ますように頬をたたいた。