「きみたちは本当にわがままだなあ! しょうがない。菊を貸すから、あとはうまくやってくれよ!」
アルフレッドが肩をすくめたとき、となりから大きな舌打ちが響いた。いまの発言が約一名(ちなみにそいつは隣りでえらそうに足を組んでいる)のお気にめさなかったんだろう。フランシスは慌てて咳払いをして誤魔化した。マシューの気の毒そうな視線がつきささる。
「フランシス。きみ、風邪でもひいたのかい? これ以上ユーロで問題を起すつもりなら、ルーブルまるごとサザビーズに出すからな」
「やめて。マジでやめて」
「それより、アルフレッドー。キクはいまアジアのやつらとおしゃべりしてるよ。大事な用事みたいだし、呼んだら困らせちゃうよ」
ホールのすみにいる菊を見つけたフェリシアーノは困ったように言った。いま菊を召喚したら、間違いなく地獄絵図だ。ここと、フランシスの胃のなかが。
「それはジョークかい? ヒーローの用事以上に『大事な』ことなんてあるわけないじゃないか!」
「そうかなあ」
フェリシアーノは首をかしげたものの、不思議な声を出してうなずいた。
ああこれは来る。そう予測がついたので、フランシスは盛大に咳きこむ準備をした。
パーティー会場は立食式で、堅苦しくない会話ができるようにさまざまな配慮がなされている。もちろん気が合う仲間と馬鹿話がしたくなったり、公的な話しがしたくなったときは会場の一部に設けられたソファ席を使うこともできる。しかし暗黙の了解ともいうべきか、そのソファ席を独占しているのは全員が白人だ。
彼――本田菊もその空気をしっかり読んでいるのか、アジア系の人々が集まるスペースで眼鏡の青年と真剣に議論していた。
「おーい、菊ー!! ちょっと来てくれよー!」
が、それに気づいているのかいないのか、アルフレッドが笑顔で手を振った。凶悪な顔の友人が今度こそ誤魔化せないくらいの声でシャイセ! と悪態をつく。
お願いだからキクちゃんよ来ないで、と祈るフランシスを神は見捨てた。彼は遠目でもわかるくらい困った顔をすると、相手に詫びるように頭を何度も下げ、こちらに歩いてきたのだ。
「アルフレッドさん、声が大きいですよ。おかげで、ますますあっちに居づらくなったじゃないですか」
そういって憂鬱そうに目を伏せる。そりゃそうだ。フランシスにはわがままなお子サマにしか見えないアルフレッドは、アジア組にとって脅威や畏怖の象徴なんだろう。だから、彼に繋がる菊はそれだけで浮いた存在になってしまう。まして直々にお声がかかるなんてことになったら、パーティーの終わりまであちらに戻ることはできないはずだ。
アルフレッドはそこまで気づいて声をかけたんだろうか。もしそうならたいそうぶ厚い面の皮だ。
「それは大変だね。まあ、座りなよ!」
「ですが」
菊が困ったようにソファとアルフレッドを交互に見た。きっと馬鹿げたルールを気にしてるんだろう。
「いいんじゃない? そーいうのに一番うるさい坊っちゃんはまだ来てないし、アルフレッドがいいっつーんだから誰も文句言えないでしょ」
『余計なことを』というように、フランシスをにらむ。けれど、諦めたようにため息をつくと、菊はアルフレッドの左のソファに腰かけた。
とたん、舌打ち。咳払いでまた誤魔化す。
この時点で、ギルベルトの機嫌は修復不可能なほど地に落ちたようだった。
「それで、菊には彼らの手伝いをしてほしいんだ! 食べものとか機械とかあと、国債とかテキトーに買ってくれればいいから」
「それは、それは」
「じゃ、頼んだぞ!」
菊の目が死んでいる。
「アルフレッドさん。もちろん違うと存じておりますが、まさかその一言のためだけにわざわざ呼びつけたわけではありませんよね?」
「そうだけど、なにも問題ないだろ。それよりのどが渇いたんだぞ!」
菊は無言で眉間のしわをもんだ。それから息が切れるほど長いため息をつくと、料理が置いてあるテーブルから銀色のポットとティーポットを持ってきた。
最悪だ、とため息をこぼす。
アルフレッドの無理難題にはもう慣れたが、このテーブルには絶対近づきたくなかったのだ。もちろんそれにはアジア側に居づらくなるという理由もあるが、なにより彼と顔を合わせたくなかった。
あの戦いが終わるまで、菊はギルベルトがどのように敵を見るのか知らなかった。いっとき敵対したころさえ、どこかで繋がっている確信があったのだ。けれど、その確信はもうない。すでに彼の弟子ではないからだ。いま、菊は彼がどんなふうに敵を見るのか知っている。
「どうぞ」
ギルベルトに頼まれたブラックコーヒーを置いたが、礼の言葉ひとつなかった。むしろ視線さえこちらにやらず、歯牙にもかけないという態度だ。その理由を知っている。けれど、もはやどうしようもできないことだった。
「それでキク。おれたちの手伝いをしてくれるって本当? とっても困ってるんだよー」
菊がソファに座ったのを見計らってフェリシアーノが尋ねる。少し考え、あいまいに誤魔化そうとしたとたん、アルフレッドが代わりにこたえた。
「当然だよ! 菊がおれの頼みを断るわけないからね!」
「キク、本当?」
「……ええ、まあ」
先手をうたれたら、もうダメだ。それに自分がアルフレッドに反論できるはずもなく、仕方なく頭のなかで予算の収支そろばんをはじいた。そのとき、不気味なほど穏やかな声で彼が言った。
「ひじ置きは楽でいいな。ああ、いまは首ふり人形か?」
ぎらりとした赤い目が挑発するように菊を見ていた。一瞬、肩を並べてリンゴを食べた日がよみがえる。あの日の許容と優しさに満ちた笑みは、嘲笑に変わっていた。
「きみはいやなやつだな! おれの友だちを侮辱しないでくれないか」
「そうかよ。お前の『お友だち』は首を横にふれない病気にかかってるみたいだぜ」
「菊はおれを信頼してるのさ」
昔、ひとりで立つうえで喉から手が出るほどそれがほしかった。けれどそれは与えられず、あの頃の自分はいつも迷っていた。だがアルフレッドと歪んだ関係を築いたいま、迷いない正義に従うのは楽だった。いつか彼をこわがっていた菊は食べられてしまったのだ。
「ええ、まあ」
そうこたえると、菊をあざ笑っていたギルベルトは一瞬ひどく傷ついた顔をした。そしてなにか言おうと(いったいなにを言うつもりだったんだろう)したとたん、アルフレッドの携帯がけたたましい音をたてた。
「アーサーが着くってさ。なんか妙に不機嫌で、すごーくめんどくさかったんだぞ」
どなり声が響く通話を途中で切って、不愉快そうにアルフレッドが言った。
アーサーが来るとしたら席がひとつ足りないだろう。さっきから息をのんでこちらを見つめていたフェリシアーノとマシュー、そしてずっとにやついていたフランシスに自分たちでソファはいっぱいだった。
アルフレッドもフランシスもいるのに、彼がここに来ない理由はない。仕方がない、とソファを立とうとすると、それより先にギルベルトが席を立った。
「話し合いも『無事』終わったわけだし、おれ様は帰るぜ。くそライミーと顔を合わせるのは絶対ごめんだからな」
「ええ、ギルベルト、帰っちゃうの?」
「フェリちゃんに引きとめられるなんておれ様感激だぜー。けど今日は忙しいルッツの代理だったから、帰って手伝ってやらねーと」
「べつに引きとめてはいないよー」
肩を落とすギルベルトにフランシスがハグをする。
「なんのジョークだ?」
「たまにはいいじゃない」
「気色わりい」
そういいつつ律儀にハグを返して、彼は去っていった。アルフレッドと菊は一瞥もせず、さっぱりした退場だった。
これでよかったのか? と声がする。現役を退いたギルベルトは内政に手を貸すばかりで各国の会議にはめったに出てこない。まして気まずい関係の菊が近くに寄ることはありえなかった。だから、今日のように言葉をかわすのは滅多にない機会なのだ。
会いたくないと思っていたはずなのに、顔を合わせれば誤魔化せないほど、軽口を叩ける関係にもどりたいと願っていた。
でも、あの背中を追うことなんてできるわけがない。
「あれえ、ギルの搭乗チケットが『偶然』ポケットに入っちゃったみたいだ」
フランシスはわざとらしく大声でそういうと、菊のほうにチケットを振ってみせた。
「悪いけど、キクちゃん届けてくれないかな?」
「貴方ってひとは……」
迷って、アルフレッドを見た。彼は菊がいれた反吐が出るほど甘いコーヒーをすすると、肩をすくめた。
「もちろん、おれは行かないよ! それに、だれも行かないんじゃないかな。きみ以外」
「ありがとうございます」
菊はペコリと頭を下げると、出口へと走っていった。
その姿が見えなくなると、ソファに重い沈黙が落ちた。
フランシスが咳払いをして、初めて気づいたように辺りを見回す。
「それにしてもいいホテルだよねえ。歴史があるのに小汚い感じがしないし。えーと、菊ちゃんが手配したんだっけ?」
「そうだよ。菊もアーサーと同じで骨董品とか、とにかく古臭いものが大好きなんだぞ。おれには理解できないよ!」
「なんで引きとめなかったの?」
フェリちゃーーん! と内心フランシスが絶叫した。せっかく気まずい空気が流れそうだったのに、いまの発言でぜんぶおじゃんだ。
フェリシアーノは珍しく真剣な表情でアルフレッドを見つめていた。不思議な鳴き声を出す気配もないし、発言を撤回するつもりもないようだった。となると、尻馬にのるのはいまがチャンスだ。フランシスの好奇心だってむくむく大きくなってくる。
「お兄さんもふしぎ。よくがまんしたよねえ」
「しかたないんだぞ。菊は骨董品が大好きなんだ」
それに、とアルフレッドはなんでもないように言った。
「ちゃんともどってくるから問題ないよ」