ぼくらのミッドナイト・パレード戦争act 007

 あんずはスカートを握り、『UNDEAD』のパフォーマンスにのめりこんでいた。

 舞台に立つ彼らは先ほどよりずっと輝いていたのだ。名目上、零は他のメンバーと対立しているはずだが、それが掛け合いになって一層すばらしい演奏に変わっている。多少の『揺らぎ』などものともしない強い絆が伝わってくるようだった。

(わたしもこんな風になれたら……)

 間奏に入り、彼らは画面越しの観客にファンサービスを行っている。ひとり、零が抜け出して、長テーブルのうえに腰かけた。

「さて、嬢ちゃんや。くどいようじゃが、最後の確認じゃ」

 彼は申請用紙をあんずの鼻先でひらひらふった。

「本当に『これ』でよいな」
「はい」
「後悔しない?」
「しません。『UNDEAD』のみんなにはお世話になったけど、わたしの居場所はここじゃないから」
「そんなにきっぱりはっきり言われると傷つくんじゃが……いいかの。おぬしはいまや、学院の要石のような存在になっている。嬢ちゃんがいるからこそ、危うい均衡がもっておるんじゃ。いわば、この細腕に夢ノ咲全てが乗っていると言ってもよい」

 零は悔いるような手つきで、あんずの腕をなぞった。

「済まぬことをした。憐れなことじゃ。もはや、嬢ちゃんは学院の勢力図を塗り替える力を持っておる。今後、おぬしを利用せんとす魍魎どもが千も万もあらわれるじゃろう。だが、おぬしが『プロデューサー』でいる限り、だれの下にもつかず、だれの庇護も受けられぬ。独立した『権力』は、無限の虚しさと隣り合わせじゃ。我輩のものになれば、この学院で守ってやろう。おぬしを脅かす全てから。そして、娘らしい歓び――『恋』も望めば与えてやるぞ」
「恋?」
「……我輩は、どうやら見当違いをしていたらしい」

 零は笑って、あんずのあごをすくった。

「嬢ちゃんはまだ『バンビ』なのじゃな。おぬしが恋を知ったらどうなるだろう。澄んだガラス玉の瞳はどう変わるのか。くすむか、濁るか――それとも一層美しく輝くか。我輩の色に染めたいと思うのは当然の誘惑じゃろうて」
「零さんも変わるんですか?」

 沈黙。
 しばらくの間、零は背後から殴られたように目を丸めていたが、やがてその美しい顔に淫靡な笑みが広がった。

「『おれ』の変化を知りたいか? なら、おぬしが恋に落とせ」

 二人の視線が絡まりあい、睦みあった。感じたことのない息苦しさに、あんずは目をそらしたかった。
 だが同じくらい、零の瞳をずっと見つめていたい……自分の全てを差し出したい……という誘惑も感じたのだ。

「おい吸血鬼ヤロ〜! 出番だぞ! 『のんびり』すんじゃねえ〜よ!」
「うるさいわんこじゃ。せっかく嬢ちゃんを誘惑するチャンスだったのにのう」
「――わたしは、いつもの零さんが好きです。さっきはちょっと怖かったから」
「その『怖さ』が、恋の妙味じゃよ」

 零はいたずらっぽくウィンクすると、あんずを横抱きにした。

「わんこが反抗期だと言ったな。あの子は、『作戦』に反対だったのじゃ――優しくエスコートするのだぞ。わんこ」
「うるせえ! 言われなくともわかってるっつ〜の!」

 駆け寄って来た晃牙は彼女を受け取り、肩の上に抱え上げた。そして、講堂の地下通路を足早に降りて行ったのだった。

 零は目を細めて二人を見送った。やがてその姿が闇に紛れて見えなくなると、にこやかな微笑を消し去った。
 物憂げに申請書を見下ろし、彼女の未来に想いを馳せた。

 あんずが選んだ道は茨に覆われている。きっと様々な苦難が少女を苦しめるはずだ。『中立』を選ぶとはそういうことで、たとえばレオや英智はそれを狙っていた――彼女を中心に音楽が満ち溢れるのを。

「新時代が始まっても遺恨は残る。過去の遺物は手ごわいのう」

 零はため息を吐き、書類を丸めてゴミ箱に捨てた。


 晃牙はあんずを抱えたまま、木造階段を駆け上っていた。

 踊り場の手すりに設置されたブロンズ像をわし掴み、五段一気に跳びあがった。彼のジャケットは掻き傷ばかりで、ズボンのお尻が最も大きく破れていた。

「うがああああ! くそ吸血鬼ヤロ〜! な〜にが『快適な地下室』だ! 快適なのはネズミとムカデと吸血鬼だくそったれ! あんなジメジメして風通しが悪いところ、人間さまは不快でたまんねえんだよおおお!」
「晃牙くんちょっと落ち着いて」
「落ち着けるかテメ〜! なんで学院の地下に落とし穴だの鳴子だの棘の壁だのがあるんだ! 忍者屋敷かここはよう!?」
「それはわたしも気になったけど……」
「なによりむかっ腹なのは、こんなところにテメ〜を放りこもうとしたリッチ〜だ! なに考えてやがる! 死んじまうだろ〜が!」
「そっか」

 あんずは彼の優しさに微笑んだ。

「でも、凛月くんは零さんが講堂にいるのを知ってたと思う」
「はあ? なんでわかるんだよ」
「それは――勘です」
「ッんだよ、いい加減だなあ! ……つっても、あの吸血鬼兄弟ならあり得る話しか。リッチ〜もポンコツもテメ〜を気にいってるみたいだし」

 晃牙は舌打ちしてあんずを抱え直した。地下通路があまりに複雑で、予想外の時間ロスをしてしまったのだ。屋上までの道はまだ遠く、彼もだいぶ疲弊していた。

「晃牙くん、降ろして。もう平気だから」

 あんずは彼のこめかみを大量の汗が伝っているのに気づき、腕をたたいた。しかし、それにはあきれたため息が返って来た。

「アホか。『パレード』終了まで、あと十分切ってんぞ。テメ〜がのろのろ走るより、おれさまが運んだほうが早い。大人しく頼っとけ!」
「うん……」

 照れくさそうな笑み。

「ありがとう」

 それから、晃牙は風のように走った。階段を三段跳ばしで駆けあがり、白い封鎖テープを鼻で笑って飛び越えた。

 あんずは彼の肩にしがみついたまま、窓の外が一気に明るくなる瞬間を見た。三階を超えると、講堂より高くなるため視界が開けるのだ。もちろん晃牙は止まらず、ラストスパートをかけるように一層強く段を蹴った。

「あと、一階だよ」
「――ああ」

 晃牙は走りながらあんずに視線をやり、口をもごもごさせた。

「あのよう、吸血鬼ヤロ〜はテメ〜をいじめたかったわけじゃね〜んだ。あれは……つまり、なんつーか……」
「わかってる」

 あんずは首を振った。

「零さんは、覚悟させてくれた。そして、『Trickstar』のみんなが味わってきた悔しさの数百分の一を体験させてくれたんだ。そうだよね、晃牙くん」
「けッ、そんな殊勝なタマかよ。隙あらば喰っちまうつもりだったぜ……おい」

 晃牙が背中をたたいた。

「降りろ。着いたぞ」

 踊り場を上った先にこげ茶の古い扉が見える。窓から青白い光が差しこみ、漆喰の壁を照らしていた。
 あんずはおそるおそる手すりを掴んで、青年をふり返った。

「その……」
「おれは行かね〜ぞ。理由は……もう解るな――行け。ここで見ててやるからさ」
「ありがとう、晃牙くん」

 一段一段踏みしめるようにして、最後の階段を上っていく。
 銀色のドアノブに手を伸ばし、爪が掠れ、火傷を負ったように手を離した。

「おい、あんず!」

 低くハスキーな声。

「お前の……あれ、悪くねえ曲だったぜ。つぎはロックン・ロールにしろよな!」

 今度こそ取っ手を掴むのに成功し、あんずはふり返って手を振った。そして光の洪水のなかに消えていった。

 やがて、無粋な音を立てて扉がしまった。再び辺りが暗くなる。つまり、そこにあんずはいないということだ。気力だけで支えていた足が萎え、晃牙はその場に崩れ落ちた。

「クソッ……弱っちいの」

 視界が滲み、徐々に意識が混濁して来る。
 窓の向こうに不気味なほど大きな満月が映り、晃牙は手を伸ばした。しかし途中で力を失い、音を立てて床に落ちた。